新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

牧師の休暇ー代理説教について

今日も夏日でした。ただ昨日と同じで台風の影響か風が強かったです。領土問題は相変わらず大変なようです。それにいよいよ政局も最終段階を迎えました。

 今週には自公両党が参議院で問責決議案を提出するようで、その行方次第では巷でささやかれている10月解散かもしれません。そうなれば、選挙制度法案や赤字公債発行法案はどうなるのでしょうか。それに自公両党が政権を握っても、来年の参議院選挙までは又ねじれ状態のようです。

 ところで、総選挙の争点は何になるのでしょうか。脱原発・反消費税・反TPPとなったら、自公両党も困るのではないかと思います。それでも落選議員救済のためには、早期の解散総選挙が必要なようです。現代の日本の政治だけでないのかもしれませんが、政治より政局あるいは選挙優先の時代のようです。

 奇しくも、小沢氏がかって、政治は政局と同義語だと言いましたが、まさにその通りでしょう。総選挙後の自公連立政権がどのような政権運営を行うのか注目されるところです。

 さて、今日は牧師が休暇なので、代理説教がありました。前の牧師は夏期休暇の他にハンセン病療養所への説教のため代理説教が年に2回ありました。

 初代の牧師は、夏期休暇はありませんでしたが、他の教会から依頼されて説教にでかけたり、病気で説教ができなかったりしたときは、代理説教が行われました。

 代理説教は引退牧師などに依頼する場合と教会の長老(役員)が行う場合と2通りあります。おじさんの教会ではほとんどの場合、長老が説教をしていました。

 ある時、新しく役員(当時は長老ではなく役員と呼んでいました。)になられた方が、「信徒の場合は、説教と呼ばず、証と言うべきではないですか。」と言われました。初代の牧師は、週報などには説教という表現を使っていましたが、認識は信徒のお話という位置づけでした。(信徒のお話の場合「証」なのです。・・「あかし」と読みます。)

 前の牧師は、「信徒であっても、内容のレベルが聖書の正しい読み解きであれば、説教という言葉を使ってもかまわないと思います。自分の役員の説教をテープで聞いたけれど、十分説教と呼ぶに値する内容です。」と言われました。

 それで、この問題は終わりました。おじさんも代理説教をしましたが、準備が大変です。神様の言葉を人間が伝え、真剣に聞きに来ている方の語るのですから、大変です。

 大体1月前くらいから準備をします。どの聖書の個所を使って何を話すのかは本当に難しいです。来年の夏期休暇にはおじさんが代理説教をしなければならないようです。それで今から何を話そうか考えているところです。それほど説教をするというのは大変なのです。

 明日から水曜日まで用事があるので、ブログはお休みです。木曜日から再開します。