新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

上海旅行について

今日は台風の影響か結構強い風とにわか雨が降っています。午前中は病院で、午後は仕事をしました。病院は半年に1回の定期検診です。前立腺の数値が去年まで高かったので、気にしていました。それで去年の8月に本格的な検査をして、その後薬を飲んでいました。

 今年の2月に半年経過検査を受けると問題のない数値まで下がっていたので安心しました。今回は薬を飲み始めて1年目の検診なので気にしていました。しかし、少しですが、数値が下がって安心しました。次はまた2月に検診です。

 午後からは来週提出する期末考査の解答用紙と模範解答作りです。パソコンが苦手なので、15年くらい前の古いワープロを使っています。解答用紙などを作ったりするには、ワープロが便利です。エクセルなどで解答用紙を作る先生が多いのですが、使い慣れたワープロの方が早くて便利です。それでも解答用紙と模範解答作りで3時間くらいかかりました。これで夏休みの宿題は終わりです。

 さて。月曜日から水曜日までブログをお休みしたのは、上海旅行に行ってきたからです。2泊3日の旅行です。何と言っても旅費が安いのが魅力でした。全て含めて(旅費やサーチャージャー料、空港使用料に旅行保険など)一人4万円を少しきるくらいです。

 国内旅行でも2泊3日往復飛行機なら、この値段ではちょっと無理でしょう。おまけに上海のホテルは世界的に有名なホテルです。(欧米系)中国に居る時も旅行しましたが、特色のあるホテルなどには泊まりました。名門と言ってよいホテルは今回が初めてでした。

 ホテルは満足しましたが問題は飛行機でした。月曜日に台風15号が沖縄付近を通過したので、飛行機が大幅に遅れました。上海から日本へ飛んだ飛行機が引き返す時に乗るのです。ところが日本での出発時間になっても、飛行機が上海をまだ出発していないのです。そこで、中国の習慣に倣って、日本の空港でも大幅に遅れたので、弁当がでました。

 中国では飛行機が2時間を超えて遅れると弁当が出ます。逆に弁当が出たら相当遅れることを覚悟しなければならないのです。ちなみに航空会社は中国国際航空(エアーチャイナ)です。と言っても日本の空港で弁当を急に調達できないので、500円の食券が出ました。

 もちろん空港の食堂で500円では何も食べれないので、不足分は手出しです。結局初日に見学するはずだった、バンドと呼ばれる洋風の建物群を見れませんでした。ホテル到着は夜10時過ぎでした。

 結局上海見学は火曜日1日だけです。おもしろかったのは、魯迅公園です。その中に魯迅記念館がありました。これはなかなかおもしろかったです。興味深いのは、その記念館で、ある日本人の写真展があっていました。あの某宗教政党のバックにある宗教団体の会長さんです。

 堂々と特別展示していました。もちろん、おじさんは見学をパスしましたが。中国で反日などと言っているのをまともに信じてはいけません。大勢の見学者がある魯迅記念館に日本の某宗教団体の会長さんの写真展をするのに、上海市政府の許可がないとは思えません。日本では分からない別の側面が見えました。

 後は上海博物館です。これも見ごたえがありました。おじさん達(おじさんとツマクマ)は中国西南部を精力的に旅行したので、少数民族に関心があります。そこでは、少数民族展示コーナーがありました。部族のことを知っているのでとても興味深かったです。夜は上海雑技団の公演を見ました。1時間半の公演があっと言う間に終わるほど面白かったです。(値段も日本円で4000円くらいで、結構な値段です。)

 もちろん、旅行業者もリベートを稼ぐために、色々なお店につれて行きます。今回は工場が多かったです。シルク・ベッド、お茶などの工場に行きました。おじさん達は珍しくないので、買いませんでしたが、他の方は結構買っていました。

 ちなみに、今回のツアーは21人です。ツアー代にお土産代など含めて、ツアー全体で100万円近い額になります。中国元で言えば10万元くらいになると思います。1回のツアーを集めるだけで10万元ですから大きいです。もちろん日本の旅行会社が管理費などを差し引きますが、中国側の旅行会社もそれなりの利益が出ていると思います。

 水曜日はリニア―モーターカーに乗りました。時速400キロ以上出るのが売りです。と言っても駅から空港まで途中なにもありません。ですから出発して7分くらいで到着です。ガイドさんも(中国人)壮大な無駄だと言っていました。中国はメンツのために膨大な無駄をやっているのは国民は皆知っているようです。

 尖閣問題などありましたが、反日で嫌な思いをしたりすることはありませんでした。中国で出会った人たちは日本人観光客を相手にして商売しているのですから、大事な商売相手に嫌な思いをさせたりするはずはないでしょう。それにしても、おじさんのいた中国西南部の地方都市に比べると、その市街地の規模は問題にならないほど大きかったです。

 上海はいつも大学のある街への乗換点でした。ですから、空港から一歩もでたことがなかったのです。4年目にして初めて街に出てみました。後は北京とシルクロードに行ってみたいです。明日は講座の最終回です。