新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

民間人校長について思う

今日も薄い曇りで、風も強かったです。午前中は、自宅下の畑の整理をしました。今年はきゅうりなどの野菜の出来が今一でした。それに時期も過ぎたので撤去しました。

 株価は9000円台を割り込みました。現在の世界的な経済の落ち込みの中で日本の株式市況だけが上がるなどということはありません。株式市況は人間で言えば体温のようなものです。目に見えない経済の動きが、株式市況の数字の形で表れるのです。

 昨日はアメリカも大幅安だったので、覚悟はしていました。景気回復などについて、色々な意見が出ていますが、世界的にみても現在好調な経済を維持しているところはないようです。

 国内外でも難しい問題が山積みしています。まもなく党首選挙ですが、さてどうなることでしょう。アメリカも大統領選挙一色になりそうです。お隣の韓国や中国でも指導者が交代します。北朝鮮は一足先に指導者が交代しましたが、わずかですが閉ざされた扉が開きそうです。

 あれほど強硬に北朝鮮を攻め立てたのに、逆に韓国との関係が悪化し北朝鮮との交渉が復活したのも皮肉なものです。かっては北朝鮮憎しだったのが、今は韓国憎し一色です。

 今日はブロゴスに、民間人校長を増やすという記事がありました。それについて書きます。実はおじさんが現役だった20年くらい前から小中高で民間人校長導入の動きがありました。しかし、ほとんどの県で鳴り物入りで始まったのに、尻すぼみになっています。(少なくとも高校ではそれほど広がっていません。)

 おじさんの県では民間人校長がいたのかどうか記憶にありません。教師ですと、しばらく民間企業で働いていた人が、教職につくケースがあります。しかし、民間企業の経験が教職でそれほど役に立っているようにも見えません。

 管理職と一般教師では違うかもしれませんが、おじさんの経験から言えば、教職では一般企業での体験はそれほど役に立たない気がします。まず教師で言えば、民間企業から教職に転向する人のほとんどは、民間企業になじまなかったからです。あるいは、民間企業の行き方がいやで、教職に転向したと言ってよいでしょう。

 民間企業で成功し、将来が約束されているのを捨てて教職に就く人は大学などは別として小中高にはほんどいません。それに、民間企業でばりばり業績を上げても、その経験は教職にはそれほど役に立たないのです。なぜなら、教職とは実に地味で、目に見える成果が現れないものなのです。

 それに企業の最大の目的は、少ない費用で多くの利益を上げることですが、教職の場合そんなことは不可能です。企業では全く同じ品質の品物を大量に生産して売ります。サービス業であれば同一水準のサービスに心がけます。教職は逆に40人いれば40種類の対応が必要なのです。

 誰ひとり同じ人間はいないのです。10クラス3学年だと12000人の生徒が在籍します。その一人ひとりに対応するとなると1200種類の対応が必要なのです。管理職の場合、企業のような縦割り社会ではありません。1200人の人間が在籍する企業と言えば大企業です。

 それを50人程度の教職員(教員と事務の人)で管理します。しかし、管理職は3人だけです。校長・教頭・事務長です。それ以外の人は原則全員平教師なのです。(2人くらい主幹教諭がいる学校もあります。)企業であれば、支店長、次長、部長、課長、課長補佐、係長、主任、平社員と完全な縦割りシステムが完成しています。

 支店長の指示は平社員まで確実に届くし、支店長は部長から報告を受ければそれで十分です。部長は課長から報告を受けます。ところが、学校はこのようなシステムとおよそ異なっているのです。まず命令系統というものが基本的にありません。

 一応主任・主事はいますが、簡単に言えばお世話係のようなものです。宴会や旅行の幹事あるいは部活のキャプテンのようなものです。今は主幹教諭と指導教諭などと半分管理職のような職種もありますが、それでもそんな教師は二・三人です。

 実は学校運営の要はこの主任・主事なのです。教務主任とか学年主任といえば分かりやすいでしょう。民間人校長はこの経験が全くないので、企業の部長や課長に指示するような感じで接するとうまくいかないのです。実はほとんどの学校の場合、この要の主任・主事クラスを動かしているのは教頭なのです。

 ですから、現場の実態を知っている教頭と全く現場経験のない民間人校長の場合、教頭は両方の板挟みになります。学校の場合、校長が直接教師に指示命令することはありません。教頭が校長の命令で教師に指示することはあります。(直接教頭が命令することが多いです。)

 ですから、学校の場合対外的なことや全体の責任は校長が、対内的な実務は教頭が担当します。民間人校長といえども、全く現場経験がないし、組織文化や組織の運営方法を知らないので、民間企業の感覚で学校を動かそうとすると、大変な摩擦を引き起こします。

 極端な場合、主任・主事クラスが校長に反発すれば学校は動きません。もちろん、表だって反抗すると職務違反になりますが、教育の仕事は個人のやる気に大きく依存しています。教師が自主的にやってくれなければ、何もできません。

 たとえば、部活動でも、勤務時間を超えて校長が命じることはできません。おじさんが現職の時でも、会議は勤務時間内で終わっていました。どうしても仕方ない場合、校長が申し訳ないが時間を超えて会議を継続しますとお願いしていました。

 公務員の場合、法(地方公務員の場合条例)こそが全てなのです。建前と本音など全く通用しません。公務員の場合、もし建前を少しでも破れば、何かあった時全く救ってもられないのです。例えば、生徒が余りに悪いのでビンタを食らわせても、もし保護者が訴えれば愛のムチでしたなどという言い訳は通用しないのです。懲戒処分ということになります。

 企業のように融通をきかせるなどということはありません。ですから、民間人校長の場合、学校の組織文化に馴染むのに苦労すると思います。それだけで最低1年はかかります。次の1年でやっと自分のカラーが出せたとしても、残りはせいぜい1年か2年です。

 それに、人事権も予算請求権もないので、残ってほしいと思う教師も転勤するし、出て行ってほしい教師は残るし、評判を聞いてほしい教師を呼ぶこともできません。

 民間人校長が増えないのは、それなりの理由があるからです。大阪の場合あのキャラクターの市長さんですから何でも条例を作ればやれると思っているのでしょう。まあお手並み拝見といったところです。教師にすれば、嵐が過ぎるのを待つ心境でしょう。

 とりあえず現職を無事終わっていて良かったと思います。大阪の教師の皆さんには同情します。多分日本中の虚子が同情していると思います。明日は講師の申請書作りです。