新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

学力テスト成績公表に思うー学校現場への競争原理の導入

今日は晴天です。というよりこのところ随分雨が降りません。庭は毎日水やりが必要です。先日市の定期健康診断に行って来ました。問題はコレステロールだけです。おじさんはやせ型なので、コレステロールは気にしていなかったのですが、今回医者に相談しなさいのアドバイスがありました。

 定年まで、検査項目で医者のアドバイスは必要なかったのです。職場の50歳以上の男性で、全く問題ないのはおじさんだけでした。それが、中国にいる間に油濃いものを食べたからか、それとも加齢のせいか、いくつかの項目で注意がでました。

 中国に半年単身で住んだ後は、血圧と血糖値が高かくて、このままでは糖尿病になりますよと言われました。その後ツマクマが中国に来てくれたのでそんなことはなくなりました。今回も自動測定器では高血圧だったのですが、看護師さんがはかり直してくれたら、正常値になりました。

 ところで、世界経済が不安定な中、株価の方もさっぱりです。おじさんは大型株が中心なので、相場は下落の一途です。株価を見る限り日本経済も厳しそうです。雇用も厳しくなるでしょう。雇用力の大きな、鉄鋼・化学・電機などが総崩れです。最近化学株の落ち込みがひどいです。

 さて今日は久しぶりの教育ネタです。大阪を中心に学力テストの結果を公開して、各学校の奮起を促そうという動きがあります。へたをすると、学力テストの成績の悪い学校の先生や校長は給料やボーナスを減らされそうです。世間では、教師の教え方が悪いからだと思われています。

 現場の先生は皆守秘義務や面倒を避けたいと思う気持ちが強いので本音を語らないのです。教育界の常識は世間の非常識なのです。つまり、学力テストの結果は、先生の努力だけではどうにもならないのです。そもそも子供の能力が生まれた時から全員同じだという考え方自身間違っています。

 子供の能力は生まれながら違っています。競馬などで血統ということを言います。駄馬と名馬ではまず血統が違うのです。人間の場合で言えば、遺伝子です。運動能力に差があるように学習能力において個々の人間で差があります。

 それ以上に学習成績に影響を及ぼすのは家庭環境です。最近では家庭の教育力と呼ばれています。学校では基礎的なことしか教えません。問題は受け取る側です。受け取る側の生徒に興味関心があれば、結果は大きく違います。

 また、学校で勉強したことを定着させるには家庭での学習が重要です。授業内容は全国ほぼ同じです。ただまず学校で興味関心を持って聞くか、帰って学校で学んだことをきちんと復習し、次の日の予習をするかです。問題はここにあります。

 まず、興味・関心ですが、子供は親の後ろ姿を見て育ちます。親が社会のことに関心を持ち、子供のちょっとした質問に答え、自分の会社の仕事の話を楽しそうにあるいは誇りをもって話せば子供は社会科に興味を持ちます。親が子供と一緒に模型を組み立てたり、星の話をしたり、会社で新製品を作る話をしたり、自分が作った商品を持ち帰ったりしたら、子供は理科や数学、工業に興味を持ちます。

 幼い頃童話を読んで聞かせて、想像力を豊かにしたら、国語が強くなります。もし、仕事もなくぶらぶら過ごし、子供の質問にも答えられず、夫婦げんかばかりしていたら、子供が勉強しなくなります。どうように夫婦ともに生活に追われて勉強をみてやったり、できなければよほど意思の強い子供でなければ勉強しなくなります。

 数学(算数)や国語の勉強をするより、テレビを見たりゲームをする方が楽しいに決まっています。

 問題はこれが個別の家庭だけの問題ではなく、地域全体の問題だからです。おじさんの県でも県庁所在地の学校の平均点は、産業が衰退し雇用状況が最も悪い地域の平均点を大きく上回っています。さらに県庁所在地の学校ごとの平均点を見るなら、ほぼ所得水準と比例ですでしょう。

 ちなみに学力テストの上位県は農業県です。(秋田とか福井とか)これは、農業県は自宅を所有し、安定した生活がほぼ全県的に営めるからです。つまり極端に勉強ができる人もいないが、全然できない人もいない状態なのです。大学進学率はこれに比例しません。つまり小中学校で学力テスト全国上位であっても、県内に有力大学がないと大学進学率は落ちるのです。(秋田福井は国公立大学や有名私立大の合格数は高くありません。)

 教育界では学力は経済状況や家庭の教育力と比例するというのが常識です。簡単に言えば教師の努力でできることは少ないということです。教師は30人程度の子供一人ひとりの面倒を見ます。親は二人あるは一人の子供の面倒を見ているだけです。

 おじさんも色々な地区を回りましたが、経験的に言えることは英語は人口が多くにぎやかな街ほど成績が良いです。東京の生徒が一番英語力が高いと思います。地方に行くほど低くなるはずです。理由ははっきりしています。まず外国人に会う機会が違うということです。

 外国人が一人もいない街と街を歩いていたら外国人とすれちがい、何とか話したいと思う地域では差がでます。それに都会の親の中には海外赴任経験のある人も多く、赴任しないまでも海外出張などで英語が必要だと思っているはずです。ですから子供も英語の勉強の必要性を認識し、早くから英語を勉強するからです。

 数学は自分で勉強できるので、地方と余り差がでないようです。ですから、有名私立に東京や大阪などの生徒さんが多いのも、ただ家が近いからだけではないと思います。英国社の3科目入試ですと、英語のウエイトが高いので、都会の方が有利です。

 つまり、地域の雇用や家庭の教育力を高めることなしに、教師の尻をたたいても効果はないでしょう。最も学力テストの点数上昇の簡単な方法は、学校で塾を始めることです。おじさんが子供の頃(中学生の頃)塾や予備校がなかったので、中学校で放課後や早朝特別補習をしていました。

 テキストを買わせて、自分の中学校の先生が教え、高校進学希望者は問題を解いていました。(確か補習費を親が払っていたと思います。)中学を卒業して就職する人は放課後帰っていました。何同じクラスの中で放課後就職組と進学組に分かれていたのです。クラスで1割くら就職組がいました。

 それに、校内模擬試験をして1位から100位(1学年600人)まで正面玄関に名前を貼りだしました。(書道の先生が名前を墨書していました。)また、クラスごとに上位者の名前と全員の点数を印刷して配布していました。上位10人だけ名前を印刷していました。おまけに親に見せたかどうか、親の署名捺印を学校に持ってこなければなりませんでした。

 もちろん公立中学です。市内5校ありましたが、一番家庭環境に恵まれた中学でした。(国立大学の先生の官舎・大企業の管理職の社宅など多数ありました。)

 つまり、おじさんの中学には、激烈な競争社会がありました。(そこでのスローガンは「大勢いるお前たちの世代は死ぬまで競争だ。」)今そんなことが許されるはずがないでしょう。なぜ、そのような激烈な競争社会がなくなったのか。それは教育現場に弊害を招いたからです。歴史は繰り返すを言います。その弊害が忘れられた頃、同じような競争原理の教育現場への導入が叫ばれるのです。

 明日は土曜日なのでのんびり過ごします。