外国人採用問題を考えるー歴史的視点
今日は降ったりやんだりの天気です。すっかり秋らしくなって、肌寒くなりました。10月も終わりに近づいたのですから、当然でしょう。
さて、今日は外国人採用問題について考えます。企業の場合は誰を雇用してもよいのですから、いくらでも採用できます。考えてみれば、国技と言われている相撲に大勢の外国人力士がいるのも不思議なものです。それに、最高位の横綱は外国人なのです。
そのような保守派の人が高く評価しているのが大日本帝国憲法です。一方保守派に人が蛇蝎のように嫌うのが現在の日本国憲法です。この日本国憲法はアメリカが作った憲法を日本語に翻訳したから日本人のものではないというのです。
さて、大日本帝国憲法成立についてはどうでしょうか。日本史で勉強したように、この憲法を作成するために伊藤博文はドイツそれもプロシアで勉強しました。それに実際に大日本憲法を作成する際にドイツ人の顧問が協力しています。今回このブログを書くにあたってウッキペデイアを参考にするとおもしろい記述がありました。
明治には御雇外国人が大勢いて、前述した憲法制定にも協力しました。現代中国にも「外国人専家証」というのがあります。これは政府が発行するもので、この証明書を持っている人は中国人と同じ扱いをするというものです。
実際は使ったことがありませんが、失くすと罰金400元(約5000円)とられます。帰国時には返還しなければなりません。技術者や大学教師などに出されているようです。表紙は国章であり天安門が印刷されてあって、一見すると中国のパスポートのような感じです。
これを持っていると地方政府主催の国慶節パーテイなどに招待されるようです。もちろん今はどうか知りませんが、以前は日本人のおじさんも招待されました。欧米はもちろんインドの人にも出しているようでした。
秀吉の出兵の際も多くの朝鮮人陶工を連れ帰り、それが日本の陶芸に大きく貢献したことは知られています。古代の政治制度律令制も中国の制度を模倣したものです。さらに時代を遡れば渡来人もいます。また、卑弥呼の時代は贈り物を贈って従属していました。
つまりちょっと前まで日本の政治中枢や産業中枢に外国人がいたのです。だからと言って日本の独自性が損なわれたわけではありません。
優秀な外国人を採用し、その知識を日本のために使うことは少しも悪くないのです。いずれの時代も謙虚に自国が外国に比べて遅れていることを自覚しています。
今の時代は日本が世界に先んじているから、外国人を受け入れる必要はないということでしょう。日本も御雇外国人の時代が終わり、外国人を排斥するに従って孤立してきました。戦前には日本への留学生が大勢いたし、それを受け入れてきました。
今は外国人嫌いの時代、外国へ行くのがいやな時代になりました。確かに日本は住みやすいのですが、一度外国に住んでみると全く違ったものが、見えてきます。
できれば開かれて国日本となり、この閉塞的な現状が打破できたらと思います。明日は教会バザーです。月曜日も忙しいので、次のブログは火曜日です。