新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

「死語」について

今日は肌寒い天気でした。朝から仕事です。今日は週一日だけ仕事をする日です。この仕事のおかげで名刺に肩書を付けることができます。さすがに肩書のない名刺はもちたくないです。

 去年の9月から今年の3月までは、5歳で幼稚園に入園して以来初めて肩書がありませんでした。大学の聴講生でしたが、それはちょっと名刺には書けません。今の仕事があるおかげで無職から脱出できました。

 若者(17歳)たちと授業するのは楽しいです。それにこの学校の図書館はなかなかおもしろい本がそろっています。今日も3冊ほど借りてきました。今日借りてきたのは、「絶望の国の幸福な若者たち」(講談社刊 古市憲寿著)「カーニーバル化する社会」「武士の町 大阪」(2冊は中公新書)です。

 1週間で読む予定なので、まだまだ借りたい本がありますが、3冊くらいにしています。その中で「絶望の国の幸福な若者たち」を少しバスの中で読みました。

 今は「若者」という言葉を使いますが、それは新しい使い方で以前は「青年」と読んでいたようです。そう言えば教会でも「青年会」で「若者会」ではないし、「青年会議所」であっても「若者会議所」とはなりません。前述の著書によれば「青年」が「若者」に代わって行くのは1980年代のことのようです。

 それも、時代の変化とともに起こったようです。そう言えば、時代の変化とともに死語つまり使われなくなったり、今なら間違いなく別の国をイメージする語があります。今日はそんな言葉を考えてみました。

 社会制度の変化とともに死語化するものがあります。お若い方に「名誉白人」と聞いたら、どこの国の人と答えるでしょうか。白人でないことは間違いありません。白人でないのに、白人と同じような扱いをすると言うことです。これは南アフリカがまだ人種差別(アパルトヘイト)をやっていた頃の言葉です。

 日本は南アフリカにとって重要な経済相手国だったのです。当時は明確に白人とその他の人種を差別していました。もし重要な相手国の日本人を白人でないと言うだけで差別するなら、貿易も難しくなります。

 そこで白人でもないのに白人と同じ扱いをすると言う意味で「名誉白人」と呼んだのです。今は人種差別もなくなったので、そのような呼び方はありません。

 次の場合はどこの国の人のことでしょう。英語を言えば年配の方はすぐ分かるので、その内容だけ先に書きます。「利己的に振る舞い、経済的利益ばかり追求するアジア系の人種」です。他のアジアやアフリカの人達からそう見られています。

 今ならすぐに中国人ですと答える人が多いでしょう。マスコミ報道を見てもそう書いてあります。答えは1960年代後半の日本人です。英語ではエコノミックアニマルを言われました。今頃日本人でも自分たちのことをエコノミックアニマルなど言わないと思います。

 これは1965年のアジアアフリカ会議で、パキスタンのブット氏が使った言葉です。本来はほめ言葉なのですが、翻訳する中で日本人のことを悪く言う言葉になったそうです。今の中国人にぴったりな言葉です。

 アジア人で人の猿マネばかりするするのは、と言われればこれも中国人ですとなります。英語ではイエローモンキーということになります。これも戦後しばらくの日本人が言われた言葉です。

 今頃日本人のことをイエローモンキーなどという人はいませんね。今さんざん中国や韓国の悪口を言っています。かって日本人も他国からそう見られたのです。時代は繰り返します。先に進んだ国が後から追いかけてくる国に対して成り上がり者として軽蔑するのです。

 そう言えば、随分前アメリカで日本車をハンマーで壊す場面が放映されたことがあります。今回中国で日本車が壊された場面と重なってしまいました。

 まあこれから日本がどうなって行くのか分かりませんが、戦後今の繁栄の時代まで苦難の道があったことは忘れないようにしたいものです。戦後レジュームの否定を主張する政治家もいますが、今の繁栄した日本はそのような、先進国からの侮蔑を受けながら築いた歴史の延長線上にあることは間違いありません。

 聖書には「剣によるものは剣によって滅びる」とあります。これは武力で手に入れたものは、武力によって失いという意味です。確かに明治維新後戦争によって手に入れた領土は戦争で全て失いました。別の人は「鍬によるものは永遠だ」と言いました。平和的に手に入れたものは永続すると言う意味でしょう。戦後国民が努力して得た経済的繁栄は今でも続いています。

 明日は教会の資料作りをします。