新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

中国は神仏なき国かー体験的中国宗教事情

今日は11月初旬にも関わらず、とても寒いです。とうとうストーブを出しました。まだ使ってはいませんが、いつでも使える準備だけはしました。

 11月下旬には後期の中間考査の準備をしなければなりません。今回の試験の中心は漱石夢十夜(第一夜と第六夜)です。取りあえず、原文だけリムーバーに入れました。これから少しずつ加工して、問題を作っていくのです。大体60点くらいを予定しています。残りは評論文と漢字テストです。

 また小テストもしなければなりません。すでに2回分作りました。なんだかんだと忙しいです。

 さて、先日ある方のブログを見ていたらこんなことが書いてありました。「神仏の心を見失った国民は悲しい未来に向かって進んでいる」という言葉です。ブログのタイトルは「混迷する中国」とあったので、「神仏の心を見失った国民」と言うのは中国人のことかとも思いました。

 そこで、余り知られていない中国の宗教の現状について書いてみることにします。ただこれはあくまでもおじさん自身の体験から考えてことです。ですから現状のほんの一部です。

 中国に行く前は、中国と言えば共産主義国家であり、文化革命という宗教否定の時代もあったので、ほとんど宗教というものが残っていないと思いました。おじさんだけでなく、今でもそう思っている日本人は多いと思います。

 ところが、実際に滞在してみると全く違っていました。中国の宗教の中心は仏教だと思います。もちろん、仏教界自身も国家統制の中にあります。ですから日本と違って宗派性がありません。厳密にはあるのかもしれませんが、ちょっと目には分かりません。日本のように「浄土真宗西本願寺派」のようには看板がでていないからです。

 それにお寺の数もおじさんがいた地方都市(結構人口は多いです。)でもほとんど見かけませんでした。ただ大きなお寺があって、そこには大勢人が来ていました。市内観光の目玉の一つです。(市内1日観光バスが停まります。)お寺の周辺には、線香を売る店や食堂などがずらりと並んでいました。

 観光客やお参りに来た人はそこで巨大な線香を買って捧げるのです。また見学するだけでなく、実際に若い人も中高年の人も熱心におがんでいます。お坊さんも大勢います。また、驚いたことに境内には納骨堂もあります。ところで、墓地ですが、おじさんの住む大学の近くでは、墓地の分譲事務所があって、墓地の分譲もやっていました。日本ほど大規模なものではありません。

 地方でもお寺は重要な観光資源です。そこでは村の人が線香などを売っています。大事な現金収入なのです。世界遺産の大足という地方に見学に行った時、お寺の一部が文革の時に壊されたと説明を受けました。その時は、おじさんたち以外は全員中国人です。通訳の学生さんの説明で分かりました。やはり文革の影響があったようです。

 シャングリラに行った時は、お寺で説教があっていました。これも中国人だけのツアーです。観光ツアーに組み込まれているのです。日本のお寺を観光した時お坊さんの話があるのに似ています。皆神妙な顔をして聞いています。説教の後、お坊さんが観光客一人ひとりに祈りの言葉をかけます。おじさん達には「よい旅でありますように」と声をかけました。またその後、悩みのある人はお坊さんに相談していました。

 お守りとして、ミニ仏像が最新式の自動車のフロントガラスの前に鎮座しています。ベンツやアウデイのような高級車にも鎮座しています。

 お店には商売繁盛を願って関羽の像が飾ってあります。関羽は人情に篤かったことから、商売の神様になったのです。また、地方の農家では、入口から入った土間の正面に仏像を安置している家もあります。都市・田舎を問わず家内安全のお札を入口に貼っています。

 地方に行くと道教もあります。ある学生さんにお葬式のことを聞いたら、道教の道士を呼んできてやるのだそうです。その人は普段は別の仕事をしていて、お葬式などの時に道士を務めるのだそうです。西南部の地方都市で見たお葬式は何と3日間も楽隊が演奏をしていました。遺族は白い装束で、頭には帽子のようなものをかぶっていました。

 西南部の仏像は日本の仏像よりラマ教チベット仏教)の影響が強いようです。お寺には旗のようなものが沢山翻っていたりします。シャングリラはチベットに近いので、チベット仏教の寺院がありました。

 教会もあります。岳陽という町にも大きな教会がありました。そこでは教会付属幼稚園もありました。宗教が教育分野にたとえ幼稚園とは言え進出しているのは驚きです。700人くらい信者さんがいると言っていました。中国のキリスト教会も政府公認の団体のものだけです。

 ただ、政府公認の教会もひっそりとやっているのでなく、街の中心街にあったりします。おじさんの街の中心街の教会は8階建てでエレベーターが3台あり、時計台もついていて、繁華街の中心からはっきり見えます。地下には駐車場もあります。聖歌隊もいて、ピアノとエレクトーンも備えています。

 讃美歌や主の祈りは左右の巨大なスクリーンに映し出されます。一番中心になる礼拝(10時から11時半)には800人近い参列者がいます。もちろん結婚式もあります。牧師さんも4人くらいいます。英語で説教の概略説明もありますし、火曜日の夜は英語の礼拝があります。欧米人が来ることを前提にやっています。

 カソリック教会もおじさんの街にありました。ある時知らない街を歩いていたら、「天主堂」という看板が見えたので、辺りを探したらカソリックの教会がありました。大きな看板でした。もし、この看板がなかったら、気がつかなかったと思います。

 旅行をしていると、あちこちの地方都市で教会をみかけました。おじさんの街には韓国教会もあります。(十字架があるし、韓国語がその横に書いてあります。)驚いたことに、先述したのとは別の繁華街(おじさんの街にはいくつか繁華街があります。)に行く途中「福音喫茶」と書いた店を見ました。

 十字架の絵が窓に描いてあるので、教会と関係があるのだと思います。中国の教会というとバチカンとのいざこざや地下教会の話が取り上げられますが、それなりに教会の機能も果たしているようです。

 これらのことは、日本のマスコミも宗教界も余り報じないことです。キリスト者であるおじさんも、中国の宗教事情については、中国に住むまで全く誤解していました。

 中国政府もある許容範囲なら自由にやらせているという感じです。ただ、決められた範囲を逸脱するのは許さないという姿勢です。また宗教の影響力についても注意を払っています。仏教勢力について、特に注意をはらっているようです。なぜなら中国人が一番多く信じているのは仏教だからです。

 もし、何十年か先自由に信仰が持てるようになった時、大変な宗教ブームになるでしょう。アメリカ同様個人主義の国中国では、宗教と家族(親族・一族)以外頼りにすべきものがないからです。

 明日は教会です。召天者礼拝と墓前礼拝があります。その後長老会(役員会)があります。とても忙しいです。