昇天・招天、召天いずれが正しいの
昨日は午前中まで曇り空だったのですが、夕方から雨になりました。その後今日になって天気回復です。寒さも和らいできました。
報道によると北京は大雪で大変なようです。そのために日本人観光客に死者がでたようです。予想外のできごとですが、やはり主催者の見込みが甘かったと言えるでしょう。それに中国だけではありませんが、観光客が余り行かないようなところは危険だと思います。
アメリカ大統領選挙はいよいよ直前になりました。報道ではオバマ候補がやや有利と言ったところです。選挙だけはふたを開けてみないと分からないと思います。そう言えば、イギリスのエコノミスト誌が、消極的だがオバマ候補を支持すると報じていました。(JBプレスの記事で見ました。)
海外の報道機関は公平中立ではなく、その立場を明確にするようです。おじさんもオバマ候補に勝ってもらいたいと思っています。どう考えてもロムニー候補の主張は偏りすぎています。このような主張をしなければ、多分支持の核となる共和党支持者の支持が得られないのでしょう。
さて、今日は昨日の礼拝について書きます。昨日はすでに亡くなった方を忍ぶ礼拝でした。それに教会墓地へ行って墓前礼拝がありました。その後定例の教会長老会(役員会)があって、大忙しでした。結局9時過ぎからの教会学校に始まり、夕方5時まで長老会がありました。
おまけに寒かったので風邪気味で(今は良くなりました。)結局ブログを書くことができませんでした。ところで昨日あった礼拝を「しょうてん」礼拝と言います。
普通「しょてん」というと「昇天」の字を当てます。このパソコンでも「しょうてん」と打つと「昇天」の字が表れます。これは天に昇ると言う意味になります。以前役員会でこの字を使ったら、違いますよと言われました。
そうなのです。「召天」が正しいのです。類似した字の「招」があります。どう違うのでしょう。日本語教育の場で教えられたのは、類似する単語を挙げて考えることです。「召」の字だと「召集令状」「召喚状」など、どうも上からの力で呼び集める意味になりそうです。
「招」の方は「招待状」のように下からお願いする感じになります。つまり「召天」は天の神様が、使命の終わった人間を召しだすという意味のようです。「昇天」ですと、人間が天に昇っていくだけという意味になります。つまり積極的に「仕事終わりましたよ、お疲れさん。もう天国に呼び戻します。」という意味になりそうです。
「召命」という言葉があります。神様の命令によって召しだされるという意味です。教会で使われる場合は、聖職者を目指す場合に使われます。「召命を受けて神学校に入学した。」というような使い方をします。キリスト教の考え方には、人は神様からある使命を与えられて、この世に遣わされ、その使命を果たし終わると神様によって天に召し戻されるというものです。
「寿命だった」というような場合、与えられた運命を生き終わってあの世に行くというイメージがあります。それは人間の力ではどうにもならないというイメージもあります。召天という言葉にもそのようなイメージがあるのかもしれません。
もちろん今書いたことは、基督教大辞典などを調べたものではありません。思いつくままに書いただけです。何の学問的根拠はありません。
ブログというのは、書き手が思うことを思うままに書くものなので、今日は昨日ふと思ったことを書きました。昨日、ある地元の私立高校の非常勤講師の募集記事を見たので、明日は応募書類と作る予定です。