新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

政治家主導の行政の限界

今日は少し寒さがゆるみました。土曜日からは雨のようです。昨日のアメリカ大統領選挙オバマ氏の当選で終わりました。思った以上に差がひらいたようです。

 選挙人が同数でゴアとブッシュの選挙のようにすぐに結果がでないのではないかという観測もありました。保守派の人にはお気の毒ですが、また民主党の政権が続きます。新自由主義の時代がとりあえず終わったようです。日本でも小さな政府から大きな政府へという流れは定着しそうです。

 株式市況は「財政の崖問題」で円高にふれたようです。日本の経常収支はとりあえず黒字でしたが、黒字額が激減したようです。中期的にみても、経常収支の黒字額の減少が続くと思います。輸出が増加する可能性も少ないし、原油等を中心に輸入も増加するでしょう。

 ところで、今日は田中文部科学大臣の問題について書きます。新設を申請した3校を不認可にしました。審議会答申では認可の答申だったところを認めなかったようです。

 田中大臣は大臣なりの考えがあったのでしょうか、認可をもらえなかった大学から猛反発がでました。大臣が政治家として判断したのなら、それは仕方のないことです。官僚から決定権を奪うとこのようなことはしばしば起こるでしょう。

 大学の新設の場合、行政側が相当関与しています。ほとんどの場合新設準備事務局の官僚が天下りします。そして、事務局メンバーを指導して、書類を作るのです。官僚の天下りなしに新設準備をしようとすると、認可をする文科省からいじわるをされます。

 法務局でも、司法書士が作った書類でなく、自分で書類を作ったりするといろいろ言われます。ですから、大学新設の場合、提出前に何度も書類審査を行って準備を整え、官僚の事前承認を受けた後審議会はただ形式的にやっているだけなのです。

 だから政治家である大臣がおかしいと思っても、すでに準備は終わっています。それに普通も大臣の場合、所詮行政の素人ですから、反論などできません。官僚が決めたことを承認するしかないのです。

 さて世上では政治家主導の行政と言いますが、もし本気でやろうとすると今回のようなことが頻発します。大臣はそもそも行政の専門家が選ばれるわけではないのです。(タレント出身やスポーツマン出身の代議士も大勢います。)行政というのは、継続的なもので、急に大臣になったからと言って分かるものではありません。

 以前自民党政権の時代問題にならなかったのは、官僚出身議員が多かったことがあります。それも次官など長年行政経験が豊富だったのです。また、そうでなくても部会を通じて立法過程を若い頃から見て来て、その部会の関連する省庁の大臣になったものです。

 族議員などと呼ばれたものです。しかし、政権交代によってそのシステムが壊れました。それに世上では官僚バッシングが強まりました。官僚をリードするためには、政治家自身が相当努力しなければなりません。人をリードするためには、相手以上の知識や経験が必要です。

 ただ組織上の上位というだけではダメです。面従腹背に合うだけです。なぜなら日本の大臣は短命だからです。何十年も同じ省庁で勤務した官僚にかなうはずがありません。大臣が何を言ってもなんだかんだと言って大臣が交代するのを待てばよいのです。

 それではどうするのかということになります。政治家のレベルを上げるしかなさそうです。もうひとつはアメリカのように、官僚の上層部を政治任命するかです。戦前の日本の官僚上層部を政治任命していました。ただ、猟官運動(役職を狙って運動すること)がひどくなりました。えこひいきが流行し、自分の気に入った人間を引き揚げたりしました。

 それでもやってみるというのも一法です。ただ今回のような事例が続出することにはなります。自公連立政権になれば、また族議員制度が復活するかもしれませんね。

 明日は試験の問題作りです。