新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

同窓会がありました。

久しぶりにブログを書いています。先週の木曜日から怒涛のような1週間でした。木曜日は娘の家に泊まり、金曜日は小学生の孫の学芸会でした。土曜日は高校の同窓会で、日曜日から火曜日までは別荘で畑仕事でした。今回は玉ねぎを植えました。

 先週から随分寒くなりました。政局の方は第三極がさらに二分化したようです。政局については又別の日にコメントを書くつもりです。アベノミックスで一時上げた株式相場も今日は下げています。今日は取りあえず高校の同窓会について書きます。

 今回はおじさんが卒業したクラスの同窓会です。おじさんの高校は20年くらい前の学制改革でなくなってしまいました。統廃合ではなく、学校の内容が普通科高校から総合高校へと変わったのです。校名も変更しました。もちろん校舎などは元のままです。生徒の気質もすっかり変わっています。ちなみに小学校も中学校も統廃合でなくなりました。

 総合制高校になって、優秀な生徒も在学するようになり、先日高校の前を通ったら今年度の進学先として、京大以下難関大学の名前が出ていました。おじさんの在学中より格段によくなっています。

 さて、同窓会ですが、時期的なものもあって出席者は少なかったです。おじさん達が高校入学してから50年経過しました。担任の先生も87歳になりました。同級生はほぼ退職して第二就職中か第二就職も終わった人もいます。

 おじさんの時代(昭和38年入学)は以前書いたように、まだ高校進学率でさえ70%くらいでした。東北地方などは60%台の時代です。中卒の子供が金の卵としてもてはやされ、集団就職の列車さえ出ていた頃です。団塊の世代と言えば、全共闘などの学生運動を思い浮かべる若い方が多いのですが、当時の大学進学率は15%くらいです。

 中学時代から計算すると同時代人口のわずか8%くらいが4年制大学に進学したと思われます。ですから大学生はおじさんの時代までエリートだったことは間違いありません。

 高校入学後の50年で同級生は様々な人生を歩みました。一番順調だったのは、公務員組です。行政職(事務系)や公安職(警察・自衛隊など)の人はいません。教職関係が5人です。国立大学教授(英語・体育)が2人でこちらは、今年退職です。高校がおじさんも含めて2人、中学が1人です。

 後は民間企業です。女性は分かっている限り独身者は1人だけでした。貰った名簿を見ると、女性は1人を除いて全員名前が変わっていました。現在未婚の時代と言われますが、おじさんの時代はほぼ全員結婚していたのです。女性ながら自分で旅館を買収し経営ている人もいます。

 関東・関西・中部に住んでいる人が約半数です。大学でそちらに行った人も多いし、また結婚したご主人の転勤などでそうなったようです。高度成長期だったので、就職は皆問題なかったようです。ただかなりの人が途中で転職しています。

 企業倒産や人員整理というより、企業合併を機に社風が変わってそれを嫌気して転職した人が多いようです。地元スーパーが大手に合併されたのを嫌気して、出入りの業者のところに転職し、その企業を大きくして現在は社長になっている人もいました。

 数十人の地場企業を700人規模の全国展開企業に成長させたのです。青森から奄美大島まで店舗を展開しているのだそうです。高校時代は温厚な人でとても社長などするような人ではなかったのですが、人生分からないものです。

 男の顔は履歴書と言われますが、ハードな営業を担当していた頃は厳しい顔の同級生も退職後は温厚な顔に戻りました。社長をしている同級生は、やはり社長のような顔をしていました。再任用でまだ高校で教えている同級生は現役の時のままの顔をしています。

 人生がほぼ終わりに近づいてみると長いようで短い人生だったと思われます。5人の人が亡くなっています。さらに2人くらいの人が重病で連絡はないがすでに死んでいるだろうという話でした。だんだんそんな時代になってきているのでしょう。

 明日は大学院の授業があります。おじさんの発表です。忙しいようだとブログはまたお休みです。