新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

国語のテストに強くなる方法ー高校編

今日は雨との予報だったので傘を持ってでかけたのに、晴れでした。これを書いている今頃になって、やっと曇って来ました。今日は週1回の授業の日です。

 ところで今日で訪問者が30000人を超えました。これを書いている今現在訪問者は30001人です。実はヤフーブログの前にFC2ブログを6年間書いていました。中国に行った時先にFC2ブログが使えなくなりました。それでヤフーブログに替えたのですが、結局それも使えなくなりました。

 おじさんの拙いブログをよく読んでくれるものだと思っています。ブログのスタンスは取りあえず毎日書くことです。内容は以前かなり過激なことを書いていましたが(おじさんと反対の意見をからかったり揶揄したりする)ある人からネットはあぶないので、余り危険なことは書かない書かない方がよいと言われました。

 これでもかなり限定して書いています。ところで今日は中間考査でした。期末考査の間違いではありません。2学期制なので、今が中間考査で2月に期末考査です。

 ところで、タイトルの国語のテストに強くなる方法です。高校編としたのは、高校の場合古文漢文があるからです。センター試験の場合、現代文が半分、古文漢文が半分ということになります。ですから、まず勉強し易い古文漢文で基礎点を稼ぎます。そして現代文で差をつけるのです。

 古文漢文は基本的に外国語ですから、英語の勉強と同じです。特に漢文は完全に古代中国語です。単語を覚える、文法を理解するこれが基本です。英語と違って発音の問題はでません。もちろん英作文のような古典作文や漢文作成などはありません。ただ読めて意味が分かればよいだけです。一部内容も。

 おじさんの経験から言えば単語力の差だと思います。紛らわしい単語の意味をどれだけ覚えるかだけです。文法も大事です。「烏などもこそ見つくれ」を訳せという問題で「烏がみつけた」では×です。「もこそ」は~と困るという意味があるのです。正解は「烏などが見つけたら困る」です。

 問題は現代文です。センター試験では文学系の問題と論理系(評論文)の二つがでます。後者は必ず答えの根拠が本文に書いてあるので、それを見つければよいのです。また漢字や文学史のような暗記問題もあるのでこれで稼ぐこともできます。

 今回のおじさんの問題でも「槌」(つち)鑿(のみ)摩耗(まもう)」のような読みとか夏目漱石の名前を漢字で書いたり、作品名を書かせたりしました。問題文は夏目漱石夢十夜です。

 さて一番難しいの文学系問題です。じつは登場人物の心理や気持を答えさせるものなのです。人間は一人ひとり違うので、気持ちや心理は異なるのですが、それでは文学は成立しません。基本的な部分は共通しているはずなのです。

 以前中国の大学院で古典を教えたとき、枕草子「ありがたきもの」(めったにないもの)の中で「姑に褒められる嫁」という部分がありました。学生さんになぜお姑さんに褒められるお嫁さんはめったにないのですかと聞くと一斉に、自分の大事な男の子をとられたからですと答えが帰ってきました。

 このように時代(枕草子平安時代)国(日本と中国)を超えて人間の感情は同じなのです。また主人公の相手へのおもいやりが分かる部分を抜き出しなさいという問題はどうでしょう。人間の思いやりはどのような行動ででるでしょう。

 おじさんの今回の問題の場合、愛する女性を葬った墓の上にそっと土をかける部分なのです。別の問題ではネアンデルタール人は死者の上に花を供えました、これはどのような気持ちなのでしょう。答えは死者との永遠の別れを悲しむjというものになります。

 このような人間の心理と行動が最もよく分かりものは何でしょう。実は童話なのです。子供のころ童話をしっかり読み聞かせて、どうしてあんないじわるなことをするのでしょうと聞けば子供は感受性が強いのですぐに、ねたましいからですと答えるでしょう。

 これを繰り返していくうちに、自然に国語の読解力がつきます。簡単に言えば他者と共感できるようになります。よく本を沢山読めば国語が強くなるというのはこのことなのです。本、それも童話の好きな子は感受性が強いのです。童話の中にはセリフのないものもあります。

 ないものから意味を紡ぎだすのは想像力です。文学系の問題を解くにはこの想像力が要求されるのです。韻文などもそうです。好い詩を読めばだんだん想像力や感受性が強まります。おいしいものをいつも食べているとまずいものはすぐ分かるといいます。口がおごるともいいます。

 まず子供の国語力を伸ばしたかったら親が童話を読み、自分でお話を作ってあげることです。そうすればだんだん童話を自分で読むようになります。ただ困ったことがあります。そのような子供は感受性は高まるのですが、数学や理科のような現実の論理の世界より想像の世界を好むようになります。

 また自分の世界を持つのを好むので、スポーツのような体を動かすことを好まなくなります。人間オールマイテイを望むのは難しいですね。典型的な文系人間のおじさんの経験もこの文章には相当入っています。

 明日は大学院で発表です。