新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

気の毒な若い世代

今日は晴天です。昨日の夜から強風が吹いています。明日は大荒れとの予想です。日曜日から忙しいので今日まで成績処理です。何とか終わりました。後は平常点などを加味して最終的な点数をだします。

 さて今日は若者論です。どの時代でも若者は年長者に批判され、若者は年長者を嫌うものです。最近は世代間格差論なども盛んに論じられています。

 それにしても今の若者は気の毒です。おじさんが若かった時代に比べで時代状況が閉塞的です。未来に希望が持ちにくい状況です。おじさんが若かった時代は団塊の世代という若者の塊がありました。ですから、その時代はどこの街でも大勢若者がいたものです。

 それに高度成長の始まりの時代だから仕事も沢山ありました。失業してもなんとかなる時代です。中卒から就職する時代ですから、少数派の大学生の就職も好調でした。ところで最近の記事を見ると若者も高齢者も老後が心配だと書かれてありました。

 これはおじさんの時代と大違いです。おじさんの若かった頃は老後のことなど考えてこともありませんでした。当時は55歳定年制で、65歳くらいで大勢死にました。昔の歌に「今年60のおじいさん」というのがありました。おじさんの祖母も68歳くらいでなくなりましたが、60歳くらいの頃は腰が曲がって杖をついていました。

 古希(70歳のこと)は「七十古来希(まれ)なり」という言葉から来ているのです。今はまれどころか70代で死ぬと若死にとまで言われそうです。今は80台で死ぬのが普通です。そうなると20代の青年は残り60年の人生設計をしなければなりません。

 太く短い人生など不可能です。細く長く生きなければ老後が悲惨なことになります。明治の若者早死にでした。病気が蔓延していたからです。歌にも「命短し恋せよ乙女」というのがあります。文学者を見ても天才的な文学者が若くして亡くなっています。(樋口一葉石川啄木

 そうなればひたすら安心安全な道を歩かなければ老後は悲惨です。最近の雇用に関する記事を見ても非正規社員の場合、40歳を過ぎると仕事がないと言います。ニート・フリーターなどは親の年金を当てにしていますが、親が死ねば悲惨なことになりそうです。家事手伝いなどと言う名前の独身女性で、高齢ななるまで独身だとよほど親に資産がないと厳しいです。

 解雇が緩和されればもっと悲惨です。40台のホームレスが続出するかもしれません。若い人の中には大企業にいてもスピンアウトする人がいます。終身雇用はもう終わったという声もありますが、それはマスコミのデマです。昔の若者も自分の力を過信していました。それでも高度成長の時代はどこかに隙間があったのです。今はありません。一度大企業や公務員などの安定した仕事から出たら絶対に戻ることはできません。

 それに今はやりのノマドフリーランス、起業などと言っても、30台で始めても年金が出る65歳まで、あるいはもっと遅くまで事業を維持しつづけなければなりません。おまけに年金の削減があると、65歳から85歳までの資金を蓄えなければなりません。

 年金の不足額が月五万円とすると1年で60万円、65歳から85歳まで生きるとして1200万円の準備ができなければ、老後は悲惨です。おまけに年金制度が崩壊すると言って年金を払っていない人は、65歳から20年間を個人年金で過ごすことになります。

 20万円必要として1年240万円ですから、20年で4800万円準備しなければなりません。若いうちに仕事をしながら4800万円積み立てていなければ、これも悲惨な老後になります。

 長命社会は若者にとってとても辛い選択を迫ります。自分らしく生きて悲惨な老後を覚悟するか、とにかく大企業や公務員になって安定した老後を送るかです。大企業でもリストラや倒産がありますが、自分で仕事を始めたり、非正規社員や中小企業に比べればリスクは低いです。

 2050年には今の若者も60歳代が近づきます。そのころはこれまで以上に高齢者同士の格差がついていると思います。若い時代から老後に備えて準備ができているかどうかが老後の人生を決めます。長命社会は=長寿(長生きはおめでたい)社会とはならないようです。その点、これまでのどの時代の若者よりお気の毒だと思います。

 明日は教会で、月曜日から忙しくなります。ブログもしばらくお休みになるかもしれません。