新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

規制緩和の困難さー国民は規制緩和を願っているのか

今日は朝から曇り空です。時々雨のようです。今日は午後から娘と孫が来るので早めにブログを書いています。明日は総選挙ですが、結果が分かっているのでつまらないです。街でも総選挙の熱気は全く感じられません。人々はそんなことより年末の方が忙しいようです。

 さて今日は最近ちょっと下火になりましたが規制緩和について書きます。日本でなぜ規制緩和が行われないのかについてです。ところで規制緩和の反対は規制強化ですが、こちらは簡単にできそうです。なぜなら、規制強化というのは、何か問題があったのに、国がきちんと規制をしていなかったと非難された場合だからです。

 よくよく考えてみると、何かあったら国民やマスコミは国は今迄なにをしていたのだ、問題があるのになぜ対策をとらなかったのだと主張しているのです。そして国は申し訳ありません、すぐ法律や指針を作って規制しますということになります。

 つまり国や行政機関は規制を緩和してほめられることはなく、規制を強化してほめられることが多いのです。もし規制を緩和した後何かあれば国はなぜ緩和して問題が起こることを予想しなかったのかとマスコミから攻められます。

 先日の大学認可の問題でもそうですが、事前規制をゆるめて事後規制にする方針に変わりました。そのため問題のある大学も出ています。そんな大学を見て、なぜあんな問題のある大学を認可したのかと攻められるのです。そこには国は間違いを犯さないという無謬(むびゅう)神話があります。

 規制を緩和するということは、以前なら起こらなかった問題が当然起こることになります。規制を強めて絶対安全確実なものしか許可しなれければ問題は起こりにくいです。ところが日本の社会は安全安心が全てなのです。わずかな失敗やトラブルであっても許しません。

 一方規制というものは以前はもっと緩かったような気がします。学校でも今より随分規制が緩かったようです。しかし、問題が起こるたびに規制を強化して行きました。それで問題は起こらない代わりに自由な行動はできなくなりました。

 何十年も昔おじさんが教師をしている頃、夏休みにクラスの生徒(高校2年生)とおじさんの別荘でキャンプをしたりしました。今なら許可を求めるだけでも大変です。(学校に計画書を出し、参加者の保護者の承諾書を集めるなど)当時は親御さんも何も言わず出してくれたし、管理職から文句を言われることもありませんでした。

 もちろん、形式的には学生さんがおじさんの別荘に個人で遊びに来るということにしました。(別荘の最寄りの駅に集合し、解散もその駅です。)来た学生さんがたまたま多かったということなのです。保護者の方も、子供が先生の別荘に遊びに行くということで了解していたようです。

 日本人は失敗を許さず完全完璧を求めます。規制を緩和すれば必ずその隙間をぬって問題を起こす人がでるでしょう。それをマスコミは許さないし、国民も許さないと思います。規制を緩和することは、ある程度の問題が起こることを覚悟しなければなりません。

 失敗を許さず完全完璧を求めるのは企業も同様です。規制を緩和したからと言って新規参入した企業をすぐに受け入れることはないでしょう。新規参入した企業が完全に仕事をこなすのを見て受け入れるはずです。もうひとつ規制緩和の問題点は過当競争になることです。

 タクシー業界がその最たるものですが、それ以外に介護業界もそうです。おじさんの家の近くでも多くの建設業の人が介護に進出しました。今残っているのは、まだ介護がスタートしたばかりの頃に先見の明があった施設だけです。

 そこの施設は建設業での経験を活かして介護向けの家の改造などで評判を得ました。おじさんの家も手すりをつけてもらったりしました。今太陽光発電に一斉に向かっています。日本の場合横並び意識が強いのも規制緩和がうまくいかない理由です。

 規制緩和に反対するが、いざ緩和となったら猫も杓子もその分野に進出して過当競争になります。それぞれがうまく住み分けて皆が繁栄するというのは難しそうです。小売業でも地元の中小のスーパーは皆倒産し、イオンだけが次々に地方にも進出しています。

 これでは買い物難民がでるはずです。イオンなどの大規模施設は地価の安い郊外に進出するのです。車のない高齢者は買い物に行けません。不平等・非効率かもしれませんが、一途に規制を緩和するのはどうかと思っています。多分国民にそのような気持が強いから規制緩和が難しいのだと思います。

 明日は教会です。司式(礼拝の司会)と教会学校の説教があって忙しいです。