新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

マリアとヨセフー二つの福音書記事

今日は朝から温かい日でした。午前中は教会で、帰ってから昼食、一休みしてさっき投票に行ってきました。なんだんか前回・前々回に比べると投票に来ている人が少ないような気がしました。

 それに投票している人も熱気が感じられませんでした。義務で投票しているという感じでした。前回・前々回では若い有権者の方も見かけてのですが、今回は年長者ばかりの感じです。ネットのニュースを見ても、投票率が随分下がっているようです。

 このところブログの訪問者が増えてうれしいです。先日始めて1日の訪問者が100人を超えました。まあ内容がブログの訪問者が興味を持ちそうな内容なので、さもありなんかもしれません。

 今日は日曜日なのでいつものように教会ネタです。興味のない方はパスして結構です。明日はブログの訪問者の興味を引く総選挙に関する感想を書きます。

 さて今日はマリアとヨセフについて書きます。実は今日は教会学校の説教をしたのです。おじさんが担当したのはマリアさんの受胎告知の場面でした。ところで聖書にはキリストの言行を書いた福音書と手紙や弟子たちの伝道の記録(使徒言行録など)などがあります。

 さらに福音書はマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4つの福音書があります。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ福音書を書いた人の名前です。福音書はイエスが昇天した後に弟子たちが様々なイエスの言行に関する記録を整理しまとめたものなのです。

 同じ資料を使っていても、その中のどの記録を取り上げるかは福音書の記者によって異なるのです。通説ではマルコ福音書が一番古いと言われます。ところでクリスマスの記事ですが、実は4つの福音書のうち2つ(マタイとルカ)しか取り上げていないのです。

 キリスト者でない人にとってキリスト教で一番なじみが深いのはクリスマスでしょう。ですから、ほとんどの人はクリスマスが聖書で一番重要だと考えていると思います。そのクリスマスについてですが、マタイ福音書のクリスマスの記事とルカ福音書の記事では根本的なところが違っています。

 マタイ福音書では、ヨセフさんがマリアさんの受胎を天使から聞くのです。キリスト教は神様の人間に対する問いかけだと書いたことがあります。あなたはどう考えますかという質問が神様の方から問いかけてくるのです。処女が受胎するという奇跡を夫であるヨセフさんに問いかけてくるのです。

 それもマタイ福音書は夢の中でそれを知ると書かれています。(マタイ福音書1章18~25節)一方ルカ福音書ではマリアさんに告げられるのです。その奇跡の事実を伝えにきたのは天使ガブリエルと書かれています。(ルカ福音書1章26~38節)

 受胎告知の奇跡はルカ福音書の方がはるかに多くの分量を割いています。ルカにとってクリスマスの出来事は極めて重要な事実であったと思います。

 ところで二つの福音書に共通しているのは何でしょう。それは神に対する信頼です。夫婦の前に横たわる奇跡を夫または妻の立場で受け入れていくのです。クリスマスの出来事よりもそちらの方がおじさんには大切な気がします。

 信じられない事実に対してヨセフさんの場合は、「主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。」と記されています。一方マリアさんの場合は「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」と答えます。

 マリアさんの場合、この後有名な「マリアの賛歌」を歌うのです。この「マリアの賛歌」は確かマルチンルターの著作があったような気がします。大学時代にそれを読んだ覚えがあるのです。ルターは「キリスト者の自由」が有名です。

 ところで、マリアさんの「私は主のはしため」ですという言葉は現代人には抵抗があるでしょう。「はしため」というのは「女の召使い」の意味です。現代では自分こそが自分の主人であり、他の人の意向に左右されないことがよいとされます。

 文学などでは近代的自我とも言われます。近代は神の僕(しもべ 召使い)から神から離れた独立した人間であるべきだというのが主流です。ところで信仰とは決断です。人は奇跡の事実を前に決断を迫られるのです。先週書いた見えなかった眼が見えるようになったのはプラスの奇跡です。一方マリアさんやヨセフさんに与えられたのはマイナスの奇跡です。

 その二つの奇跡を前にして共通するのは、神への信頼です。キリスト教の神髄はこの神への信頼にあると思いました。このブログはキリスト教を支持する立場で書かれているので反対の意見の方も多いでしょう。まあそう言ってもこれはおじさんのひとりごとで議論する種類ではありませんので仮に反対の意見であっても反論は不要です。

 無視していたただければ結構です。明日は学校に用事があって行かなければなりません。