新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

今年を振り返る

 今日は午前中雪でした。この冬一番の雪でした。午後からは日差しがでましたが寒さは厳しかったです。さて今日は大みそかなので今年一年を振り返ります。
 
 今年一番大きな出来事は仕事が見つかったことです。去年の10月頃に急に話しがあって、ばたばた話しが進展しました。22歳で仕事について去年の7月までずっと仕事をしていました。それが当然のことですが、帰ってすぐに仕事がありませんでした。
 
 それで半年はとうとう無職になってしまいました。年金が一部ですがもらえるので生活には困りませんが、人から今どこにお勤めですがと言われるとちょっとつらかったです。それに名刺を持てないのも困りました。中には名前と住所を書いた名刺を持っている人もいますが、それはちょっとと思いました。
 
 4月から仕事ができるようになってすぐ名刺を作りました。所属機関は名称が長いのですが、結局は非常勤講師です。元の同僚に出すこともないので、学位をつけました。高校教員で学位(おじさんの場合修士ですが)を着けるのは恥ずかしかったのです。
 
 こちらの学校では博士の学位を持つ人も多いので(おじさんの教科の主任の先生も博士号を持っています。)名刺に書いています。おじさんの場合は厳密には修士(教育学)です。
 
 もう一つは自動車を買ったことです。昨日ぶつけてタイヤをパンクさせてしまいました。スペアータイヤがないので修理することができません。正月明けに自動車工場の人に連絡して来てもらう予定です。
 
 今年は別荘に月に2回くらい行きました。畑も増やしました。ただおかげで管理が大変です。それから全く別の話題ですが、おじさんの教え子さんやツマクマの教え子さんが大勢大学院の学生さんや研究生としてきました。
 
 昨日も中国からメールがあって、二つの大学の先生から研究生として受け入れるとの連絡があったがどちらにしようか迷っているというものでした。どちらも立派な大学なので私でも選択に困るところです。さっきも教え子さんから大学院の博士課程での研究計画について相談をうけました。
 
 中国を離れて1年半になりますが、縁は今でも続いています。中国の学生さん二人からメールでなく手紙やはがきの形で年賀状がきました。一人は北京からです。もう一人はおじさんの大学のあった町からです。
 
 来年はまず春までに色々困難なことがあります。将来に関連することです。と言ってもおじさん自身のことではなく家族のことです。何であれ生きていくのは大変なことだと思いました。誕生日の讃美歌の一節に「げにも生くるはただならじ」というのがあります。「げに」とは「なるほど」という意味の古語です。
 
 つまり意味は「なるほど生きるというのはただ事ではない」です。おじさん自身で言えば来年も今勤務する学校に勤められます。それだけはよかったとおもいます。
 
 明日は正月で長女夫婦が来る予定です。