新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

日本のリーダーについて思う。ー戦国時代を中心に

 今日は朝とても冷え込みました。それでも午前中は晴れていたのですが、午後からは曇ってきました。さて、昨日先日放送された「戦国の覇者ランキング」を見ました。(VTRで)特に興味深かったのはリーダー力です。
 
 トップは信長の志です。家康は柔、秀吉は才でした。日本で求められているのは、この3つ全てでしょう。しかし、そんな人間はいないでしょう。おじさんは秀吉の才を買うのですが、今の若者は志を願っているのかもしれません。総合ランキングではやはり信長がトップです。
 
 しかし、司会者も言っていたように日本のような社会では信長型のリーダーは長く続けられないでしょう。やはり日本は全体の合意の上に成立しているのです。一人だけ突出した人間がいると上が抑えるか、上になれば部下が反乱をおこすかです。
 
 どの時代でも新しい時代を切り開くのは信長型のリーダーです。独裁者と言ってもいいでしょう。大化改新における天智天皇鎌倉幕府を開いた頼朝などです。天智天皇も息子さんは弟の天武天皇によって自殺に追い込まれます。頼朝の源氏も数代で北条氏にとって代わられます。
 
 鎌倉幕府を倒した建武の新政後醍醐天皇も長くは続きませんでした。明治維新の立役者の西郷隆盛大久保利通・木戸考允もあっけなく死にました。日本陸軍を作った大村益次郎も同様暗殺されました。
 
 信長が長生きして江戸幕府のような長期政権を作るとは考えられません。長期政権を作るには永続するシステムを作って地道に運営するスタッフが必要です。それらのスタッフを柔軟に用いて最大限の能力を発揮させるようにしなければなりません。
 
 その点家康は信長や秀吉のような残虐さがあまり感じられません。やはり志があるからこそ信長は残虐になれたのでしょう。既成のシステムを壊すというのは、自らの命を差し出す覚悟がなければ無理だったのでしょう。その後、秀吉のように巧妙にまとめていかなければなりません。その過程で排除の論理が働くのでしょう。
 
 家康の柔は二人の残虐さが部下の離反を招くことを知っていたのかもしれません。
 
 企業でも初代が礎を作り、2代目が発展・安定させ、三代目が持続するシステムに仕上げなければならないのです。一番難しいのは三代目でしょう。初代を見ていた二代目までは、緊張感があります。三代目の頃はすでに完成されているのです。
 
 ここで安心するとあっと言う間に崩れてしまいます。三代目がきちんとシステム運営の方法を確定すれば後はそのシステムに従っていくだけということになります。前例を嫌う人もいますが、前例があるのはそれなりの理由があるのです。(過去の失敗の上に前例が作られている場合が多いです。)
 
 裁判でも過去の判例が重要になってきますし、学問研究でも先行研究を必ずきちんとやらなければなりません。現在のようなとにかく前例に捕われないことを良しとする風潮はいかがなものかと思います。
 
 いたずらに新しいことばかり求めると失敗することになります。信長型のリーダーはいつも何か新しいことをやりたがります。時代が本当にそれを求めているならよいのですが、一人だけ突っ走っていると転んでしまいます。そして後ろを見ると誰もいないということになります。
 
 家康は本当に慎重であったと思います。だからこそ長く続くグランドデザインができたのでしょう。信長・秀吉はもちろんその他の戦国武将にはないところです。今リーダー論が盛んですが、どれも信長型を求めています。確かに信長型は魅力ですが、同時に極めて危険だとも言えましょう。
 
 おじさんは秀吉が好きです。さらに言えば秀吉の弟の秀長が好きです。武士になりたかったわけでもないのに、兄のために武士になり、武芸や教養を身に付け兄を支え続け、兄より先に亡くなっています。スタッフとしては秀吉の絶大な信頼があり、人柄もよかったようです。
 
 リーダーも大切ですが、それを補佐するスタッフも重要だと思います。今日はテレビ番組を見て思ったことを書きました。明日は教会です。