新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

誕生日です。

 今日は一日雨でした。週の半ばくらいから寒くなるそうです。今日は一日試験問題作りの最後の仕上げをしました。常勤だった頃は、コピー機やプリンターが自由に使えたので問題作成も簡単だったのですが、非常勤になってからは、コピーもコンビニまで行かないとできないので大変です。
 
 最後の仕上げとは、模範解答を作り配点を考えたりすることです。ワープロを使って解答用紙を作るのですが、大きさやワク作りなど大変です。
 
 どうにか仕上げました。株式相場は若干の上昇というところです。値上がりの株式はこれまで不人気だった電機や鉄鋼関連と言ったところです。おじさんの持ち株の鉄鋼関連と電機株は上昇しましたが、それまでの下落幅が余りに大きかったので、買値の三分の一が買値の半分まで戻した所です。
 
 外貨も少しづつ円安が進行しています。まだ利益が出るところまでは行っていません。以前から書いたように、95円が一つの壁になるでしょう。これを超えると一気に100円まで行きそうです。ただそうなると、アメリカが黙っているか問題なところです。
 
 円安になると、ドルだけでなくほとんどすべての通貨に対して安くなるので、どこの国も不満がでていると思います。通貨切り下げ競争になるとちょっと悲惨なことになります。
 
 ところで今日は誕生日です。今日が誕生日な人は他に2人知っています。一人は教会の方でもう一人は娘のお婿さんです。おじさんの姓はちょっと変わっているので(日本の姓ランキングでは1000番台)同姓同名の人には会ったことはありませんが、同じ誕生日の人は2人出会いました。
 
 ちなみに同じ姓の人とは人生で10人くらいであったことがあります。同じ町に住んでいる人は、おじさんの親戚ですかと良く言われるのだそうです。おじさんは今の街で教師を30年近くやっているので、高校教師の知り合いが多いから親戚ですかと言われるのです。
 
 ところで今日で65歳になります。生まれたのは、今住んでいるところから車で40分くらい離れたところです。生まれた時代は戦争が終わってすぐです。(厳密には3年目)敗戦直後よりは少し物が出始めたころです。
 
 中学生の頃が安保闘争で高校生の頃東京オリンピックがありました。大学生のころは全共闘運動で、教師になった年(1970年)に万博がありました。結婚した年が浅間山荘事件でした。新婚旅行中どのテレビをまわしても皆この事件の中継だったのを覚えています。
 
 最初に勤務した関西地方の高校で5年間過ごし、転職試験(他府県の現職教師採用試験)を受け合格して故郷の県に帰ってきました。その後今の住まいに住み、定年を迎えました。
 
 考えてみれば5歳で幼稚園(ここだけ私立です。)に入学し大学院の修士課程(ここだけ国立です。)まで修了しました。他はすべて公立です。行かなかったのは大学院の博士課程だけです。とりあえず幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・大学院まで行きました。
 
 中国から帰国した後の半年だけどこにも所属しませんでしたが、残りのほぼ60年は学校で過ごしました。生徒であったり教師だったりです。教師は43年やりました。今年もできそうなので44年目になります。以前は40年勤務することを目標にしましたが、今は50年を狙っています。
 
 しかし、50年勤務するとなると72歳ですからちょと無理だと思います。浪人や留年、非常勤講師など寄り道した人が多い中で5歳から今日まで回り道を全くしないと言う人も珍しいと思います。
 
 明日は授業の準備です。