新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

教会連携について

 今日は午前中は曇りで、午後からとうとう雨が降ってきました。寒さも厳しくなるようです。今日は日曜日なので恒例通り教会ネタです。
 
 今日は礼拝後、近隣の教会と合同で研修会がありました。おじさんの街にはいくつも日本キリスト教団の教会がかります。本来は地区という組織があって、そこが合同研修会すべきなのですが、教会の考え方が異なるので、同じ考え方の教会同士で連携をしようということになったのです。
 
 こうして4年くらい前から近隣の考え方を同じくする教会同士で連携しています。実は日本キリスト教団は、合同教会なのです。合同教会というのは、様々な教派の教会が連合しているのです。もともと戦前は別の教派だったのですが、政府の方針で一つの組織となりました。
 
 それが日本キリスト教団なのです。戦後元の教派が離脱したりしました。そのまま教団にとどまった教会も多いのです。おじさんの教会は40年ちょっと前でできた教会で元々の伝統はありません。さりとて基本になる考え方がないといけないので、改革長老派教会の考えを教会の基本とすることにしたのです。
 
 そのため、役員を長老と呼ぶようになりました。さて、今日の4教会合同研修会の目的は、これから教会協力をどうして行くのかです。今日本キリスト教団は教勢が減少しています。簡単に言えば教会に来る人が減少しているのです。
 
 高齢化は教会にも及んでいます。若い方は忙しいのでなかなか教会に来てくれません。壮年の方も仕事が忙しいのでこれも来てくれません。戦後すぐは大変なキリスト教ブームで大勢の方が来てくれました。
 
 もう一つの問題は、日本キリスト教団の教会でキリスト教に対する考え方の違いが起こったのです。教団内部では福音派と社会派と呼ばれます。福音派の人は、社会の動きより純粋に信仰を重んじようと言う人達です。社会派の人達は社会運動を重視するのです。
 
 それだけならいいのですが、決定的な考え方の違いがあるのです。それは聖餐についての考え方です。おじさんはもちろん福音派なので、と言うより今日の4教会は全て福音派なのです。福音派の教会は聖餐は洗礼を受けた人だけが預かることができるのです。
 
 ところが社会派の教会では誰でも聖餐に加わることができます。洗礼を受けた人だけが聖餐に預かることができるのは、中国の教会も同じです。
 
 どちらでもいいと言うわけにはいかないのです。洗礼と聖餐はキリスト教信仰の中心なのです。ですから聖餐に対する考え方の相違は妥協することができないのです。
 
 というわけで、信仰を同じくする教会同士連携しようということになったのです。これから個別の教会が単独で成り立つことは難しくなると思います。牧師さんがいなくなったり、何かの行事をしようとしても会員が少なくて成り立たないこともあります。
 
 それに早めに手を打とうということなのです。今教会が廃止になりつつあります。おじさんが洗礼を受けた教会も廃止になりました。まず地方の小規模教会に始まって、比較的大きな市部でも、高齢化の進んで地区では牧師さんの給料さえ払えなくなる可能性があります。そうなれば巡回牧師のように一人の牧師がいくつかの教会を掛け持ちする可能性もあるのです。
 
 というよりそうならざろう得ないと思います。これは教会だけでなく、寺院も神社も同様でしょう。高齢化は宗教にも及んでいるのです。
 
 明日は試験の採点と成績処理をします。