新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

法事がありました。ー母親の17回忌

 今日は一日晴れていて暖かかったです。北国は今世紀最大の寒波だと言われますが、西日本にあるおじさんの地方は春の雰囲気が感じられます。
 
 今日は法事がありました。母親の17回忌です。まず法事でこれまでの懸案が解消されたことから書きます。それは仏壇に飾ってある人物についてです。言い忘れましたが、おじさんの実家は浄土真宗西本願寺派です。
 
 もともとの旦那寺は、おじさんの生まれた街にあったのですが、長兄が自宅を建設した際、今住んでいる街へ母親も引っ越しました。それで旦那寺を今のお寺に代えました。もちろん、どちらも浄土真宗です。おじさんの地方は浄土真宗西本願寺派がほとんどです。
 
 おじさんの聞いた話では北陸などは東本願寺派が多いそうです。さて、懸案とは何かと言うと、浄土真宗の仏壇の中には2人の人物の肖像が描かれた仏画があります。
 
 一人は間違いなく宗祖親鸞聖人だと思いました。ところがもう一人が誰なのか疑問があったのです。あの信長と戦争した本願寺のお坊さんか、それとも嘆異抄(たんにしょう)を書いた蓮如上人かどちらなのだろうと思っていました。今日お坊さんが、あれは浄土真宗中興の祖である蓮如上人ですと言われて納得しました。
 
 大学生の時嘆異抄は読んだことがあります。その後お葬式のたびに読まれる「白骨の御文書」についても調べたことがあります。特に世の無常を教える「白骨の御文書」は名文だと思います。キリスト者であるおじさんにも、その意味がひしひしと伝わってきます。
 
 あの文書のと同じような「先の者が後になり、後の者が先になる」という言葉は聖書の中にもあります。また紅顔の少年も夕べには白骨となる、時の流れについては、聖書では、ある夜突然に死がやってくるという譬えにも出てきます。
 
 聖書ではいつも目を覚ましていないさいというような言葉で繰り返し警告されます。ところで、母親のことですが、82歳で亡くなりました。地方の都市の5人兄弟姉妹の末っ子です。兄が一人と残りは女性です。もちろん全員死んでいません。
 
 教育熱心な家庭だったようで、当時としては珍しく子供たち全員を旧制中学校や旧制高女に入れました。祖父にあたる人も明治20年代に旧制中学に進学したようです。ところがその学校が廃校になり、県庁所在地にあった中学に行くしかなくなり中途退学したそうです。
 
 今なら大変な騒ぎになったのでしょうが、その時代はすんなり決まったようです。10年ほど前おじさんの県の教育100年史を読んでいてその出来事を確認しました。県内になんと3つの中学しかなくなったのです。おじさんの県は結構大きな県で、それはひどいと思いました。
 
 そんなこともあって、祖父は子供たちに教育を施したのだろうと思います。母親当時としては最新の技術であった、英文タイプを学び、大手鉄鋼メーカーに就職しました。日本で知らない人がいない鉄鋼メーカーです。当時、女学校を卒業して、大企業の女性社員となるのは珍しかったとおもいます。
 
 その後そこの社員だった父親と結婚することになりました。そのまま行けば幸せだったのですが、おじさんが小学校1年生の時父親が死んで苦労しました。父親は、営業マンで昭和20年代にゴルフをしたり、飛行機で東京に出張するようなやり手だったのです。
 
 ゴルフ姿(ニッカボッカにハンチングです。)の写真が残っています。母親は父親の死後中小の商社に入社し、さらにその商社が日本有数の商社と合併し、最後はその有名商社で定年を迎えました。その商社の名前を聞けば、驚くと思います。
 
 戦前の女性のキャリアとしては、ぴか一だと思います。まあ夫が死んで苦労しましたが、子供たちはそれなりに偉くなってまあ良かったと思います。(長兄は化学会社の課長、二男は鉄鋼商社の取締役、おじさんは中国の大学の副教授、弟は防衛庁出先機関の課長)
 
 明日はまた色々忙しいです。