新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

イエスキリストのエルサレム入場ー移ろい易きは人の常

 今日は1日晴れた暖かい日でした。昨日は娘と孫が来てとても忙しくてブログを書くことができませんでした。今日は日曜日なので、恒例の教会ネタです。
 
 教会暦では今は受難節です。キリストが苦しめを得て十字架に架けられたことを思い忍ぶ時なのです。説教も今その段階にさしかかっています。キリスト教に関心のない方はキリストがユダに裏切られて十字架にかかったことくらいは御存じだと思いますが、実はその前段階があるのです。
 
 最後にはユダヤ人たちは皆キリストを十字架につけろと叫びますが、今日のタイトルイエスキリストのエルサレム入場の際には大歓迎したのです。
 
 今日はその話から書きます。キリストの十字架につながる、エルサレム入場の記事は全ての福音書に登場します。その中でヨハネ福音書だけは、ちょっと内容が違います。その前段階のラザロの復活の記事が他の福音書にはないのです。
 
 キリストが死から復活する前に、ラザロという人物が死から復活したということは大変な出来事であったはずですが、なぜが他の福音書はこの記事を無視しているのです。エルサレム入場でイエスが大歓迎されたのも、ヨハネ福音書ではラザロの復活と大きな関係があるとします。
 
 おじさんもラザロのことは知っていましたが、それに関連する記事を詳しく読んだことはありませんでした。今日の説教の箇所に出ていたので、とても興味深く読みました。ヨハネ福音書によれば、ラザロの復活の出来事は深刻な影響を当時の宗教指導者たちに与えたようです。
 
 聖書の記事を真実か虚構か判断するのは難しいです。専門的には聖書神学に任せるしかありませんが、現代的な感覚で判断しても、何らかの事実を含んでいると思っています。たとえばラザロが死者からよみがえったということが広まらないように、宗教指導者たちは、ラザロを殺そうと謀っています。(ヨハネ福音書12章9節以下)
 
 それは皆がイエスを信じるようになってはいけないからです。またエルサレム入場で群衆が歓迎したのは、この出来事があったからだとヨハネ福音書は伝えています。他の福音書では、イエスが入場した際大歓迎を受けたことしか、書いてありません。
 
 おじさんの独断的な意見によれば、4つの福音書の中でヨハネ福音書が一番文学的だと思います。文学的というのは、描写が極めてリアルで生き生きとしていることと、人物の心理と行動が良く描かれていることです。まるで、芥川龍之介の「羅生門」や夏目漱石の「こころ」を読んでいるようです。
 
 文学として聖書を読むとしたら、ヨハネ福音書使徒言行録がよいと思います。手紙のたぐいは(例としてローマの信徒への手紙など)余りおもしろくありません。使徒言行録ではパウロという人の困難の中で生きる姿が描かれています。
 
 エルサレム入場での大歓迎を宗教指導者たちは冷ややかに見ています。その場面の描写を見てみると、「そこで、ファリサイ派の人々は互いに言った。見よ。何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。」(ヨハネ福音書12章19節)
 
 今の自民党あるいは安倍政権がまさにそうです。アベノミックスで株価は上昇し、円安になったので、民主党の人は同じセリフをつぶやいているでしょう。ファリサイ派民主党、あの男を安倍首相にすれば、ぴったりでしょう。
 
 ヨハネ福音書のすごいところは、2000年前の聖書の言葉でありながら、現代にもぴったり合うのです。ですから、信仰の書として聖書を読めない方も文学として読んでも十分おもしろいし、読む価値があります。なぜなら、そこから人生の教訓を得ることもできるからです。
 
 ところで、タイトルに戻ります。死者をよみがえらせるほどの力を持った人を大歓迎したのは分かります。しかし、その数日を皆でイエスキリストをあざけり、十字架につけろと民衆は叫びます。もちろん、その理由については後に書きますが、人間とはそんなものなのです。
 
 奇跡を信じたからこそ歓呼を持って迎え入れながら、自分達の望みと違ったのを知った時、急変するのです。安倍さんは今得意の絶頂でしょう。万能感に捕われていると思います。しかし、世の人の心は移ろいやすいものです。
 
 アベノミックスがうまくいかず、物価は上がってインフレになったが給料は上がらず、金融緩和でお金がだぶつき株や不動産だけが値上がりして、株や不動産などの資産を保有している人が得をし、おまけに国債の信用が下落して金利が上昇した時(変動金利でローンを組んでいる人は大変です。)、アベノミックスを歓呼の声で迎えた、マスコミや経済評論家の手にひらを返したようになるでしょう。
 
 イエスキリストがエルサレム入場に入場して4日で逆転したのです。死者の復活を目にしても、態度が一転したのです。アベノミックスのような軽薄な経済政策(おじさんは軽薄だと思っていますが)などあっという間に評価が変わるでしょう。
 
 何だか神聖な聖書の話しが生臭い政治経済の話しで終わりますが、それほど聖書の内容の幅が広いということなのです。
 
 明日はのんびり過ごします。