復活祭についてーいささかの個人的見解
今日は曇り空でした。日曜日なので恒例の教会ネタです。今日はイースター(復活祭)でした。日本ではクリスマスがよく知られていますが、キリスト教の行事には他に色々あります。
イースターもその中の一つです。他に聖霊降臨日(ペンテコステ)などがあります。よく知られtいるように、新約聖書には、キリストの伝記に相当する4つの福音書があります。その中で実はクリスマスに関する記事は、マタイ福音書とルカ福音書だけです。
一方イースターの記事については、全ての福音書にでています。ですから、福音書が書かれた当時のキリスト教徒にとっては、クリスマスよりもイースターの方が重要だったと思われます。イースターの記事にはそれほど福音書間に相違はありません。あらすじはこうです。
キリストが十字架に架かって死に、その日のうちに葬られます。御墓は横穴で、入口には大きな石が扉としてふさいでいました。キリストが十字架にかかったのは金曜日のことです。土曜日はユダヤ教の安息日だったので、何もしませんでした。
日曜日になって、キリストの死体に香油をぬろうとした婦人たちがイエスキリストの死体がないのに気づくのです。ブランクは金曜日の一日だけなのです。その後キリストは弟子たちの前に現れます。その表れ方は様々ですが、共通しているのは、弟子たちの前に現れたことです。
復活つまり死者が蘇った事実は、以前書いたようにラザロという人の例があります。ラザロの復活の話はヨハネ福音書だけの話で、他の福音書にはでていません。死者が生き返ったのですから、大変な出来事のはずですが、他の福音書にはでていません。
現代科学から言えば死者が蘇るなど信じられない事実です。ところで事実として確認できるのは、まずキリストの死体が墓からなくなっていたことです。これは間違いないと思います。ですから、人によっては弟子たちが盗みだしたのだと言います。
しかし、盗み出したとしたら、すぐにうわさが広まったはずです。そうなれば誰が盗みだしたかです。そもそもキリストの直弟子たちは皆逃げ出していました。一番弟子のペテロでさえイエスを知らないと言っています。十字架の後ペテロは漁師に戻っていますから、彼が盗みだしたとするのは無理です。
福音書によれば漁師に戻ったペテロの前に復活したイエスが表れているのです。自作自演の芝居とは思えません。十字架に架けられた罪人の死体を勝手に盗み出すのはどこの国どの時代でも重大な犯罪です。事実キリストの死体を葬る許可を貰ったのは有力者だったのです。ですから、反対派の人が盗み出すのもおかしいです。
また復活したイエスに出会ったからこそ一度イエスから逃げ出した弟子たちが命がけで伝道を始めたのです。復活が事実なのかどうかは確かめるすべはありません。しかし、復活したイエスに会った弟子たちが心を入れ替えてキリスト教を世界に広めたのは事実です。
そしてそのキリスト教が2000年間続いたのも事実です。もし作り話の上にキリスト教が出来上がっているとすれば、2000年もの間、世界中の人をだまし続けることは難しいでしょう。虚構ならばいつか事実が明らかになるはずです。また虚構で人を動かすことはできません。
すくなくとも虚構で人を殉教させることはできないと思います。結局復活がどのようなものなのかを知ることはできないが、その結果だけは知ることができるのです。
信仰のない人には復活はばかばかしい出来事ですが、信仰ある人には重大な出来事なのです。まさに、あなたは何を信じるのかが問われているのです。
おじさんの復活理解は正統な神学に基づくものではなく、たんなる思い付きです。こんなことを考えているキリスト者がいるという程度で理解してください。