新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

[聖書考古学」について

今日は午前中から午後3時頃までは晴天だったのですが、5時近くになって突然激しい雷雨になりました。天気予報でも今日は雨との予報だったので、納得できました。

 今日は日曜日なので教会です。日曜日は教会ネタです。先日学校に行った時に「聖書考古学」(長谷川修一著)中公新書を図書館で借りました。この本が出たのは知っていたのですが、図書館にあれば良いがと思って自分では買いませんでした。

 以前「韓国のキリスト教」についての中公新書は図書館に入ってなかったのです。それで宗教関係はダメなのかなと思っていたのです。もし入っていなかったら自分で買うつもりだったのです。

 聖書考古学というのは新しい学問です。というのは聖書という特定の書物に関連する考古学だからです。古事記考古学というのもおかしいようなものです。しかし、聖書という書物は世界中で大きな影響力を持つ本なので、その本についてだけの考古学も存在するのです。

 なぜ聖書考古学という学問が成立したのかと言えば、聖書はユダヤ民族の成立の歴史が書かれています。言い忘れましたが聖書考古学というのは旧約聖書についての考古学です。聖書は新約聖書旧約聖書があります。新約聖書は文字によって記録されているので考古学的な対象にはなりにくいのです。

 新約聖書が全く歴史に反しているとは考え難いからです。ところが旧約聖書については、文字がなかった時代の歴史が多くでてきます。そのうちのどれだけが歴史的事実でどこまでが聖書を書いた人の想像なのかを知る必要があるのです。

 進化論が出る前までくらいは聖書に書かれていることは全て真実だと考えられてきまし。しかし、進化論がでたあたりから聖書には歴史的事実と聖書記述者の信仰と混在していると言われるようになりました。最初は聖書成立史、つまりそもそも聖書の成立はどのようなものなのかが追究されました。

 しかし、20世紀に入ると考古学的な視点から聖書の内容を立証しようということになったのです。またイスラエル以外の国(エジプトやバビロニアペルシャなど)の記録の解読も進んできました。(ヒエログリフ楔形文字など)すると旧約聖書の中心思想をなす出エジプトモーセユダヤ民族を引き連れてエジプト脱出した出来事)の事実もエジプト側の史料には出てこないのです。

 それで聖書に出てくる事実を発掘などで実証しようというのが聖書考古学です。さらに詳しくは聖書考古学の本を読んでいただければよいのですが、困ったことに日本人の99%の人が旧約聖書をほとんどあるいは全く読んだことがないのです。読んだことがなければ出てくる記述がほとんど分かりません。推理小説を読んだことがないのに、犯人やトリックについて話すようなものです。

 ですから、まずは子供向けの聖書物語を図書館で借りてきて旧約聖書に出てくる物語を読んでみてください。その上でこの本を読んでみるとおもしろいと思います。

 ちなみに今図書館から借りているのは「海賊と呼ばれた男」です。ところで「空飛ぶ広報室」がテレビで今日あります。これも学校の図書館で借りて読みました。(というより頼んで入れてもらったのです。)

 今浅田次郎の「一路」を頼んでいます。「県庁おもてなし課」は自分で買って読んでいます。なんだか教会ネタ(キリスト教ネタ)からはずれてしまいましたね。ままおじさんの独断と偏見に満ちたブログですからこんなものでしょう。

 明日は所用で外出です。相場展開と北朝鮮のミサイル問題が気になるところです。(特に証券会社株)