新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

東京の一極集中と地方分散ーどちらがよいのか

今日はとても忙しかったです。午前中は学校で午後は所用で結局1時間くらい前に家に帰りました。おじさんがこんなブログを書けるのは時間が有り余るほどあるからです。(原則年金生活者だから)

 ところがちょと家庭に所用が増えておじさんの持ち時間が減っています。この所用は重要なことなので仕方ありません。

 今日は最近ブログサイト(アゴラ)を賑わしているテーマについて書きます。維新の会などは道州制を主張しているようです。しかし、最近は安倍さんの人気に押されて橋下マジックも消えかかっています。本人もそれは自覚しているようです。

 かれの主張が大阪都構想でした。今頃そんな話を覚えているのは大阪の人だけでしょう。世間の話題は円安と株高に目が行って、そんな話いつの事と言う感じです。そう言えば今日も株式相場が大幅アップですが、建設関係は下がるは証券関係は変化なしで、おじさんには無関係でした。

 今日の上昇株を見ると以前から書いていた通り、これまで注目されなかった安い(低位株)株を買っています。今日は化学株が買われました。つまり、何か目標があって買っているのでなく、何でもいいから買って相場を上げることに意味があるようです。

 このような買い方を循環買いと言います。今日も本屋に行きましたがバブルの時と違って会社四季報は山積みのまま、株式関係の本もほとんど売れていませんでした。皆株など買うお金がないのでしょう。大都市のお金持やデイトレのような人以外には関係ないのかもしれません。

 ところで東京の一極集中が地方分散かですが、すでに答えはでています。東京の一極集中です。それが良く分かるのは大学の都心回帰です。以前文部科学省はできるだけ都心の大学を周辺部へ分散させようとしました。広いキャンパスを確保でき、おまけに周辺都市もうるおうからです。

 見事に失敗しました。学生は広くて綺麗なキャンパスより、ごみごみしていても商業集積のある都心を好んだのです。居酒屋もショップもない周辺部など魅力がなかったのです。大勢の人が集まっているからこそ都市は人を引き付けるのです。

 もし広大な土地にゆったりとビルだけが建っていても何の魅力もありません。人口が集中することで、様々な交わりができ、その人口集中に合わせてお店も学校も病院も公共施設も集まってくるのです。相当昔のことですが、筑波学園都市ができて、研究機関が移転した後研究員の自殺が相次いだそうです。

 お酒を飲む場所もなく、整然と区画整理はできているが、人間臭さのない人工都市では人は息がつまってしまいます。だからと言って昔ながらの地方都市もさびしいです。おじさんも最初の赴任校のある町は人口3万人くらいの小都市でした。一応おじさんは大規模な都市の出身だったので、余りの街の寂しさに泣きたくなりました。

 パチンコ屋が1軒、8時前に全てのお店が閉まってしまいます。それでも一応市なのです。これより田舎だったら本屋もないだろうと思いました。高齢になったら田舎暮らしと言いますが逆です。地方には病院も少ないし、スーパーもないし、おじさんで言えば大好きな本屋さんもありませんでした。(文具店と一緒の小さな本屋はありました。)

 アマゾンで本を買えばよいといいますが、本屋で新刊をぺらぺらめくったり、買うほどでもないので立ち読みをしたりするのが本好きのだいご味なのです。

 それに地方では車がなければ生きていけません。高齢になって運転できなくなったら病院にも買い物にも銀行にも郵便局に行くのも困難です。日本の財政から考えたら、東京の一極集中とは言いませんが、各自がばらばらに住むのでなく、ある程度まとまって都市部にすむのが一番だと思います。

 まあそう言わなくても次第に限界集落が増加し、実質的に都市部集中社会になると思います。都市部からの田舎暮らしは話題になりますが、田舎から都市部に出ても話題になりません。昔マスコミでは犬が人間をかんでもニュースにはならないが、人間が犬をかめばニュースになると聞きました。

 都市部の人が田舎に移住するのが話題になるのはめったにないからです。おじさんの今住んでいるところは一応郊外ながら都市機能もあります。しかし、さらに高齢になったら県庁所在地へ住もうと思っています。

 明日も学校で忙しいです。