新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

中国の銀行の思い出について

今日は本格的な夏日でした。午前中は涼しかったのですが、午後からぐんぐん気温が上昇しました。株価はアメリカの市況が上がったので期待したのですが、思ったほど円高が進まず結局100円くらいの上げで終わりました。

 昨日のブログはこれまでになく読者が多くて110人近くになりました。おじさんのブログは地味なのでせいぜい60人くらいだったのですが、テーマに興味があった人が多かったのでしょう、100人を超える数になりました。

 さて今日は注目すべきニュースがありました。本来ならここはアジア情勢に分類されるところですが、日本の読者の方に中国の銀行の様子を知らせたいと思い分類をビジネスと経済にしました。

 今日のニュースで中国が北朝鮮の銀行口座は閉鎖すると報じていました。その銀行を見て、このニュースの重大さに気がついたのです。それは閉鎖する口座の銀行が中国銀行だったからです。中国銀行は中国の外貨取扱銀行なのです。

 かっての東京銀行(東銀)に相当します。おじさんも中国にいる間、日本円を人民元に替えたり、人民元を日本円に替える時は中国銀行に行きました。もし中国が本気で口座を閉鎖するとなれば大変なことになります。民間企業同士の貿易決済ができなくなります。

 昔の日本でも外貨取引は全て東銀がやっていました。アメリカに昔行った時もドルとの交換は東銀でした。30年くらい前外貨預金をやっていたのは東銀だけでした。

 まだ今回の中国の動きは見極めが必要なので、今日は中国の銀行の話を書きます。日本の都市銀行に相当するのが、中国銀行の他に、農業銀行、建設銀行、交通銀行などがあります。おじさんの住む地区にもありました。その他に地銀に相当する銀行もありました。

 日本でいう岩手銀行とか鹿児島銀行と言ったイメージです。その他に民間の銀行もあります。おじさんの取引銀行は招商銀行でした。以前は地銀だったのですが、なぜかこの銀行になりました。取引と言っても給料振り込みのための銀行です。

 中国の銀行は日本と違って年中無休でした。ATMは確か24時間やっていたようです。9時から午後5時まで営業していたように思います。それから相互銀行のような小規模な地元銀行もありました。さらには信用組合のような金融機関もありました。

 郵貯銀行もありました。学生さんは地方出身者も多いので郵貯銀行をよく利用していました。大学の取り扱い銀行は地銀です。奨学金はこの銀行から出していました。バスカードなども取り扱っていました。ところで給与振り込みですが、25日の約束なのに遅配がよくありました。

 国立総合大学で地域一番校なのでお金がないとは考えられません。相当いいかげんなのです。と言ってもおじさんはお金に困っているわけではないので構いませんけど。招商銀行でおもしろかったのは、何と「ちびまるこちゃん」と「アトム」「クレヨンしんちゃん」のカードができますと看板がでていました。

 よほど学生さんに頼んで作ってもらおうかとも思いましたが、使用料を払っているとも思えないのでやめました。通帳は作りませんでした。日本でも通帳を作る手続きが面倒なので多分中国もそうだろうと思ったからです。給料ですが、年度当初に契約を交わします。それは基本給なのですが、問題は何を引かれているかです。何と給与明細を3年間1度も貰わなかったので、家賃や税金その他何がひかれているかとうとう分かりませんでした。

 と言っても給料は中国では高給取りなので別に生活に困ることはなかったので無視していました。(本当は何回か申し入れたのですが、返事はなしです。)中国銀行はトップレベルでした。外貨交換に行くとすかさずネクタイをした行員(中国ではホテルマンと銀行員以外ネクタイをしません。)が英語で話しかけてきます。

 それもとても綺麗な英語です。そして、手続きをてきぱきとやってくれます。円を元に替える際は問題ないのですが逆の場合面倒だと聞きました。それでどうしようかと思っていると学生さんが、中国人だと簡単ですと言ってくれました。

 あんな国なので国民に外貨を自由に持たせるとも思えなかったのですが、本当でした。身分証明書を見せるだけであっさり元を円に交換してくれました。レートは日本の相場を参考にしているようで、時差が1時間あるので、午前10時(日本時間の午前9時)以降でないと両替してくれませんでした。

 一度市内にある中国人民銀行の支店を見ました。ホールと見間違えるような大きな建物で、厳重に警備されていると言う印象でした。政府機関の象徴である国章(天安門の図案)が建物に全面に掲げてありました。国章が入っていると言えば専家証(外国人の専門家証明書)もそうでした。日本の総領事館でもこれは身分証明書と正式に認めていました。(海外選挙権の登録などの時)

 日銀の支店はどうか知りませんが、中国人民銀行はいつ通っても静まりかえっていました。ただ建物全体からくる威圧感だけは良く分かりました。

 途上国の銀行と違って銀行の警備員と言っても日本のガードマン感覚でし。ただ現金輸送車の警備員だけは本物のショットガンを持っていました。学生さんに聞くとやはり銀行強盗をあるので、銃で武装しているのだそうです。空港の警備も日本だと銃を持った空港警察の警官ですが、おじさんの住んでいた空港の警備員は警棒しかもっていませんでした。

 中国に行った当時は警官も以前は丸腰でした。その後ホルスターの形から銃を持っているのが分かりますが、日本やアメリカのように明らかに分かる格好はしていませんでした。銃を持つ警備員は共産党本部と軍隊、それに公安局(警察)だけでした。一度マシンガンを持った武装警察がモノレールの駅を警備しているのを見ました。

 銀行の話から色々飛びましたが、日本の方がご存じない生の中国の生活を報告しました。明日も授業です。