新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

文化の違いを痛感しました。-同姓婚違憲判決

今日も授業です。何とか6月の授業を終わることができました。今月は試験監督も含めて10回です。去年は授業時間も違いますが、最大で月4回でした。

 さてアメリカの株式相場が持ち直したので今日の日本の株式相場も上昇していました。特に暴落前まで買われていた不動産や証券株が上昇しています。夢よもう一度というところでしょう。といっても終値で証券会社の雄
野村ホールデイングスが700円を超えたところです。

 最高値が900円台ですからまだまだ回復途上というところでしょう。橋下さんがそうですが、登場して一気にフィーバーし終わってみれば、あの騒ぎは何だったのかというところです。(まだ終わっていませんが、マスコミ的には橋下さんはもう終わった人です。)

 大騒ぎして区長や校長を民間から募集したのに、区長に続いて校長も数カ月でやめてしまいました。現場の人からしたらあれは何なのだという気持ちでしょう。

 ところで今日のブログはアメリカの最高裁が同姓婚についてそれを認めないのは違憲だとしたニュースです。これを見てやはり日本の文化と相当違うと思いました。

 もちろんほとんど単一民族で世界で一番古い君主制度(天皇制)を持つ日本と多民族国家で建国後数百年のアメリカを比べるのは無理だと思います。しかし、日本の社会ではアメリカを見習おうとう傾向があります。規制緩和に代表される新自由主義の本家はやはりアメリカでしょう。

 アベノミックスもアメリカの金融政策を参考にしていますし、安倍さんもアメリカの経済学者の考える経済理論を根拠にしているようです。

 アメリカのすごいところは、これまでの流れにとらわれないところです。オバマ大統領が選出された時も驚きました。あの白人でプロテスタントアングロサクソン以外の人間が大統領になることはあり得ないと言われた国です。ケネデイーがカソリックなのに大統領になった時大騒ぎになりました。

 黒人差別が長い間問題になっていたのに、アフリカ系アメリカ人が大統領に選出されたのです。それも再選までされました。日本で言えば中国や韓国から帰化した国会議員が首相になるようなものでしょう。帰化した日本人が国会議員になって大臣になることも難しいでしょう。

 今回の出来事は二つの大きな日本との文化の相違があります。社会制度も文化の上に築かれます。アメリカでは裁判官や検事も選挙で選ばれます。また地方分権が徹しています。裁判所にしても日本では統治行為論や消極司法論(統治は行政にあり、裁判所はそれについて消極的であるべきだ。)が中心です。

 それに比べてアメリカの裁判所は積極司法です。つまり裁判を通じてどんどん社会問題を解決していく姿勢です。裁判所の側から行政や立法府に働きかけるのです。

 次に同姓婚です。日本の場合伝統的家族観が中心を占めます。国民の意識もそうです。新しい技術や社会システムを受け入れることはできますが、日本の場合日常生活レベルになると極端に保守的になります。いわゆる内と外です。自己の個人生活の面つまり内については極端なまでに保守的で、逆に技術をどんどん取り入れたりするのは革新的です。(明治の近代化がそうです。)

 医学でも日本では病院は全てと言っていいほど西洋医学です。ところが中国では今でも中医がおり、中医病院(それも公立の)があります。普通の病院でも西洋医学の薬の他に中医薬を出します。

 以前から言われたいるような男女別姓や非嫡子相続問題などでは世論の大半は変更を認めないようです。政府与党もこの点では譲る気はないようです。ましてアメリカのような同姓婚を認めたりなどすることは想像もつかないところです。

 まず形から入るというのが日本のやり方です。今結婚すれば姓がひとつだけだからそれが正しい形だとするのです。しかし、そもそも国民全員が持つ姓の歴史は新しいものです。なぜなら江戸時代には公式に認められた人(いわゆる名字帯刀)以外は武士しか姓を持っていなかったのです。つまり、近代以前の国民のほとんどが姓を持たないのですから、そしてそちらの方が千年以上の歴史を持っているのです。

 たかだか明治維新以後百数十年の歴史しか名字の歴史はないのに、あたかも家族は同じ姓でなければ絆が保てないというのは論理的な説得力はないでしょう。苗字が同じだろうと苗字がなかろうと家族のきずなはどの時代でも変わらないのです。

 男女性別役割分業も大正時代以降のことです。それまで性別役割分業(専業主婦)などと言った贅沢は考えられなかったはずです。国民のほとんど占めた農民は男女の別なく働いていたはずです。それ以外の商家もよほどの大店の奥様以外専業主婦などありえなかったはずです。

 大正時代になってサラリーマンが増えて家計も豊かになってやっと性別役割分業が可能になったのです。それなのに現代社会は性別役割分業を元に作られています。年金の第3号(公務員や会社員の妻で働いていない人は掛け金を払わなくても年金がもらえる)また扶養控除などもそうです。

 といっても法律や社会制度は理屈でなく、国民の意識の問題なのでどうしようもありません。言えることはアメリカのような社会を理想とするなら、国民の意識を変えないと無理です。アメリカで次々に新しい発明は創造をするのは、個人が解き放たれているからです。(日本のような伝統に縛られない。)

 ただアメリカのやり方を追うのが良いことばかりでないのも事実です。いいとこ取りは無理です。何かを取れば何かを失います。雇用の規制緩和もそうです。そういえば法科大学院の削減が決まりましたが、争いを好まない日本社会で争いがあって初めて仕事が発生する弁護士を極端に増やすのは最初から無茶だったのです。

 アメリカのような訴訟社会は絶対に来ません。日本もアメリカ型の訴訟社会になるべきだと言っても国民の意識がついていかないのです。いつか規制緩和の難しさを書きますが、何でも自由に営業できるようになればバラ色の社会が来るというの幻想です。その国の文化に合わせた社会しか作れないのです。日本のようなお上(権威や秩序)尊重の社会では規制緩和は悲劇を生むだけです。

 明日は庭の草刈りです。