新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

変貌する最高裁ー意外な決定や審理が続いています。

今日は晴れたり雨が急に降ったりと変な天気でした。今日は午前中は庭の草刈りと整備、午後は明日の教会の司式の準備をしました。

 このところブログを休止していたので、時々知り合いの方からどうしたのと言われます。しかし、数日前からまた再開しました。以前は力を入れて(リキを入れて)書いていたのですが、今は少し力を抜いて書いています。

 ところで、先日最高裁で非嫡子と嫡子の相続分についての民法規定について弁論があったようです。大法廷で審理されたようです。最高裁の大法廷というのは全ての裁判官が参加するもので、違憲審査などを行ったり、これまでの判例を変更する場合に開かれます。

 普通それまでの判例を変更しない場合、小法廷で簡単に結論(上告棄却や却下など)を出すのです。大法廷で弁論を聞く場合はほとんど従来の判例を変更するのです。従来の判例では(最高裁判例も含めて)非嫡子と嫡子の間で相続の割合に差をつけるのを認めていました。

 今回はこの判例を見直して非嫡子でも嫡子でも相続の割合を平等するようです。この問題は国会でも法改正する意見があったのですが、男女別姓同様保守派の反対でまとまらなかったようです。

 ただ男女別姓については未だ違憲判決は出そうにないので、そのまま継続されるでしょう。最高裁判例変更はやはり時代の流れを受けてだと思います。これまで最高裁は個人の道徳に関係する部分については保守的というか現状維持の立場を貫いてきました。

 しかし、社会の男女関係が変化したことや、生まれた 子供に責任はないという考えから変更するのだと思います。判例変更が行われればやはり社会への影響は大きいと思います。おじさんは最高裁判例を変更することに賛成ですが、世の中は保守化しているので、ブログなどのネットでは最高裁を非難する書き込みが相当あると思います。

 家庭裁判所などで裁判となれば、最高裁判例に従って判決がでますから、法改正を保守派の議員がしなくても、実務上は非嫡子でも嫡子でも相続の割合に差がなくなります。今裁判中の場合でも同様です。過去の例については一時不再理の原則に従って変更なできないと思います。

 家族の問題をめぐっては、スケート選手の出産についてもひどい言葉で非難する意見の書き込みがあったそうですから、当然予想できます。これまでの既成の概念に固執しているのです。企業活動でこれまでの既成の利益を壊す規制緩和が行われているのですから、日常生活の規制緩和もやってほしいものです。

 高度成長の時代はリベラルな意見が多かったのですが、低成長になって社会でうっ屈した気持ちを持っている人が増えたのが社会の保守化あるいは俺様化の原因でしょう。自分は悪くない悪いのは全て社会や行政だと言う考え方です。

 市役所にガソリンをまいて放火した人もそうだと思います。不満を信じられない形で爆発させながら、自分は悪くないと思っているのです。悪いのは行政だとこの人は思っているようです。また、有名な画家の奥さんが数億円の脱税をしていたようです。

 もうひとつ意外な判例最高裁で示されました。保守派の人からまた最高裁が非難されそうな決定です。東京都の先生で君が代斉唱に起立せず処分された人に慰謝料の支払いを認めた決定です。地裁も高裁も支払いを認めなかったのに、最高裁で支払いを認めたのです。

 新聞では小さくしか報道しませんでしたが、おじさんは注目しています。最高裁の裁判官は内閣の任命なので、安部政権のもとでは、こんな判決を下す裁判官を交代させたいのでしょうが、それはできません。定年になるか辞任するかしない限り交代できないからです。

 社会の保守化が余りに急速過ぎて本来保守の牙城と言われた最高裁の方がリベラルになってしまいました。まあ日本がお手本にするアメリカの最高裁が積極的に社会に介入するのに見習っているのかもしれません。このことについてはアメリ最高裁の同姓婚に関する内容のブログを書いたことがあります。

 明日は教会で司式です。司式とは礼拝の司会をすることです。式を司る(つかさどる)という意味です。40人くらいの人が列席する礼拝ですが、やはり緊張します。