新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

兼好法師と専門職

今日は雨が降るとの予想だったのですが、ちっとも降りません。どうも雨は東北・北陸へ逃げたようです。おかげで今日も真夏日です。

 やっと夏休みに入ったので、今日はのんびり過ごしました。株価の方はさすが調整が入ったようで下げていました。以前のような大きな動きはないと思います。一時はすごい勢いで上昇した証券株も音沙汰なしです。おじさんの保有する建設株も自民党大勝で少しは上げたのですが、あっと言う間に下げてしまいました。

 8月も14000円台をうろうろするのでしょう。政治も1強体制ではおもしろくもありません。そこで今日は今やっている徒然草について書きます。読者の皆さんは高校・中学時代に必ず勉強したと思います。

 おじさんも今これは1年生と2年生に教えています。去年の生徒さんにも教えました。何十年も教えてきたのに、新しい発見があります。聖書も同様ですが、視点を変えてみると全く思いがけないことが分かるのです。

 まず大井川に水車を作った話と高名の木のぼりの話を取り上げてみましょう。大井川の話は、ある上皇が自分の邸宅に大井川の水を引きたいと考えました。そこで地元の大井川の住民に依頼しました。お金も結構出しました。(本文では「あまたの銭を賜ひ」とあります。)

 ちなみに「銭」は「ぜに」ではなく「あし」と振り仮名がついています。お金のことを「おあし」というのもうなずけます。ところが、大井川の住民が作った水車は全く動かないのです。いろいろ手直しするのですが、結局回らないで、無用の長物になったとあります。

 そこで多くの水車を手掛けた経験のある宇治の住民に依頼したところ完成した水車がスムーズに動いてすばらしかったとあります。兼好は結論として「よろづに、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。」と書いています。意味は何事でもその道の専門家はすばらしい者であるとするのです。

 いまひとつの高名の木登りでも同じような専門家に対しる敬意が示されます。高名の木登りというのは木のぼり名人と言う意味です。今で言えば植木職人の親方のような人です。高い木に登って作業する際のアドバイスに兼好は感心しているのです。

 今一つは弓矢を習う際初心の人が注意しなければならないことです。師匠が初心者に矢を二本持ってはいけないと言うのです。後の矢に期待するこころがあって、最初の矢で当てようとする気持ちが減退するというのです。ここでも専門家である弓の先生は初心者の心理をよく理解していると感心しているのです。

 仁和寺のある法師の話でも「先達あらまほしきことなり。」と書きます。つまり「先にたっていく指導者が必要だと」言うのです。兼好自身は卜部家(うらべ)という神官の家柄で、和歌の四天王と呼ばれるほどの文学者で、宮中にも官人(国家公務員)として出仕(勤務)した人です。

 ですから本来専門職などとは無縁なはずなのですが、彼は強い関心を持っています。平安時代の貴族の生活にあこがれながら、一方では技術や専門性に強い関心を持つところが、中世を生きた人間らしいところだと思います。ところで随筆家であった兼好は何で生計を立てていたのでしょうか。今なら本が売れたり、講演の依頼がきたり、運が良かったら大学教授などになれます。

 しかし、鎌倉時代後期そんなことはありません。実はかれは土地を所有していてその地代などで生計を立てていたのです。お説教のような話のイメージが強くほとんどの人は徒然草など二度と読みたくないと思われるでしょうが、ちょっと視点を変えてみるととてもおもしろいです。

 明日は庭の手入れをします。