新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

都会生活と田舎生活ー山口の事件に思う。

今日も真夏日です。今日はだらだら過ごしました。昨日友人のミヤジイから、ひと筆旅行をしようと誘いがあったのですが、予定したことがあったので行けませんでした。ひと筆旅行とは最短距離の切符を買って同じところを通過せず一番遠回りをして目的地につくというものです。

 ミヤジイの計画では朝8時過ぎの列車に乗って夜十時に目的地に着くと言うものです。最短コースで行けば30分足らずで到着できるのです。別の機会にお願いしました。ミヤジイは鉄道マニアなのです。

 さて株式市況は昨日上昇したのにもう下落していました。一時上昇傾向にあったので今日の終値で前日終値を抜く方と思ったのですが、結局安値で引けました。やはりアメリカの金融緩和終了予想が遠のき円高に振れているのが原因でしょう。以前のアベノミックス相場は終わりました。

 劇薬も時間がたてば耐性ができるものです。異次元緩和と銘打ったのですから今更できることはないでしょう。それにもし消費税値上げを辞めたら一気に円高に進み株価は一万円に近付くでしょう。金利も上昇傾向へと進むと思います。(金利高とは国債の価格が下落することです。)

 ところで今日は株の話ではありません。山口の集落大量殺人についてです。以前も書きましたが、今回は田舎暮らしの難しさの視点から書きます。犯人は中学まで地元の集落で暮らしその後は神奈川で40歳くらいまで過ごしました。つまり大人になる過程を都会で過ごしたのです。

 犯人の社会意識は都会のものだったと思います。おじさんも人生のほとんどを都市部で過ごしました。一応市と名前が付くところ以外住んだことはありません。就職してすぐの3年間だけ人口五万人以下の小都市でしたが、それ以外は十万以上の都市です。

 つまり都会生活に慣れ切っています。しかし、別荘のあるところは純農村です。といっても都市近郊(県庁所在地に隣接)なので山口の事件のあった集落よりは開けています。

 それでも都会と農村の意識の違いは痛感します。おじさんの別荘は名ばかり別荘で塀も門もありません。小さなハウスの周りは空き地です。それで近所の農家の方が堂々と車を止めています。そこの農家はハウス栽培をやっているので、パートの人も堂々と止めています。

 都会なら空き地であったも簡単に車を止めたりしません。へたに空き地に止めたりすると警察に連絡されてレッカーされる危険性があります。お宮の掃除なども子供会がやっています。昔なら喜んでしたのでしょうが、新しく移住してきた人などは迷惑と思うかもしれません。

 犯人も都会の感覚を集落に持ち込んだのでしょう。集落の人は皆都会の感覚が嫌いだったのだと思います。犯人にとって農村は決してあこがれの土地ではなかったでしょう。遅れた地域と認識されたのに、逆に自分が孤立させられてしまったのでしょう。

 犯人が他の地域に移住できたら事件は起こらなかったと思います。しかし、サラリーマンでないので年金も少ないし退職金もないので現在の住まいを捨てて他に移住するという選択肢はなかったと思います。

 農村集落の場合、内に入ればお互い助け合ったり話あったりして暮らしやすいでしょう。しかし、そのためには都会的な感覚(権利意識や平等意識、個の尊重など)を捨てねばなりません。おじさんの別荘の上の方に住んでいた方は農村共同体になじめなかったようです。。そんな話を一度飲んだ時にしていました。

 この方は埼玉の方から来られた方です。結局関東の方に事情もあって引っ越しなさいました。

 別荘の隣の別の方はうまく農村共同体に溶け込んでやっています。今おじさんの別荘の周りにも3所帯ほど都会から来ています。一番新しい方は東京から来たのだそうです。ただこれらの方は農村(豊かな自然)を望んで来ているのです。ですから違和感はないようです。

 犯人は親の介護という義務感から帰ってきたのです。望んで来るのと仕方なく帰ってくるのでは随分気持ちの持ちようも違います。親御さんが生きている間は親御さんが緩衝帯となってうまくつながりこともできたと思います。

 今回の事件はある意味都会生活をし都会の生活感覚や社会意識を持って農村それも極めて閉鎖的な共同体へ入っていった故の悲劇だったと思います。ブロゴスを見ると、犯人に好意的な意見が書かれていました。

 それで今日はこれを書いています。この事件は最近流行の都会人の田舎暮らしが決して楽しいことばかりでないことを示唆しています。もし農村が本当に楽しいなら人口流失や嫁不足などあり得ないはずです。

 明日は所用があってブログはお休みです。