新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

礼拝説教をしました。

今日は午前中大雨でした。というより夜から雨が降り続きました。今は上がっています。このまま雨が上がってもらえるといいのですが。

 今日は日曜日なので教会ネタです。今日は以前から書いていたように礼拝説教をしました。おじさんは特別に神学教育を受けたわけではありません。プロテスタント教会は万人祭司の考え方があって、特別に祭司としての教育を受けていなくても説教をすることができます。

 と言っても礼拝は通常のもので普段なら牧師さんが説教をするところを信徒であるおじさんがするのです。ところでどんな話をしたのかと言うと「ブドウ園の労働者」の話です。今日の話は極めてキリスト教的な理解が求められるのでキリスト教に興味のない方はパスしてください。

 また先に書いたようにおじさんの聖書理解はおじさんの独断的なものなので、正統な神学的解釈でないかもしれないことは最初にお断りしておきます。

 このお話は有名なたとえ話なのです。聖書ではぶどうに関するたとえ話を多いです。今日の説教の題材にした個所は現代はもちろん当時でも受け入れがたい話だと思います。

 聖書の中には時々受け入れがたい話がでてきます。ただ聖書が2000年近く読み継がれてきたことを考えれば、きっとそこに何か信仰的な意味があるのだと考えています。

 今日の聖書個所を簡単に紹介しましょう。(興味のある方はマタイ福音書でその個所を探して読んでみてください。)そもそも今日の話は天の国とはどんなものかを説明するためのたとえ話なのです。

 ブドウ園の主人がブドウを収穫するために夜明けから労働者を雇います。労働条件は1日1デナリです。1デナリというのは当時の労働者の1日分の給与だったようです。つまり正当な労働契約でした。ところがそれでも手が足らず9時、12時、3時に労働者を雇います。

 最後に午後5時にも労働者を雇うのです。当時のイスラエルでは朝6時から夜6時までが1日の労働時間でした。だから午後5時に雇われた労働者はたった1時間しか働いていなかったのです。

 そして主人は最後に来た労働者から報酬を渡します。5時に雇われた労働者は1デナリもらいました。最初から働いていた労働者は当然もっと賃金をもらえると期待したのです。しかし、最初に来た労働者も1デナリだったのです。

 当然最初から来た労働者は主人に文句を言います。暑さのなか辛い労働をしたのになぜたった1時間しか働かない労働者と同じ賃金なのだと言うのです。主人は私が払うのだから私の自由だというのです。

 現代社会でも当然給与は労働時間に比例します。なぜ聖書はこの当たり前の論理を否定するのでしょう。神の国つまり信仰の世界は相対的価値でなく絶対的価値なのです。相対的価値の世界では量が問題にされます。絶対的価値の世界では質が問題なのです。

 宗教によっては修業を積んだり、若い頃から信仰生活をした人ほど救われるというものがあります。1000日行などと言って1000日間命がけの修業をして悟りを開くというものもあります。

 聖書のたとえ話はそれを否定しているのです。ただそれなら何もしなくても救われるのでしょうか。そうではないと思います。夜明け前に雇われた労働者は一日の仕事を報酬を保障され安心して一日過ごしたでしょう。

 それに比べて午後5時つまり1日の終わりに雇われた労働者はそれまでどんな思いで過ごしていたでしょう。彼は怠け者ではありません。1日中雇ってくれる主人を待っていたのです。それなのに誰も雇ってくれず不安な一日を過ごしたと思います。

 それなのに最後の1時間で仕事を与えられ賃金もちゃんともらえました。どんなに主人に感謝し喜びにあふれたことでしょう。主人に文句を言ったりするはずはありません。主人とは神様のたとえです。神様は早く信仰をもった人にも遅く信仰をもった人にも同じように救いを与えると言うのです。

 今日の説教題は「ブドウ園の労働者とは誰か」です。もし自分を夜明け前から働いた労働者の立場に置くなら主人のやりかたに不満を持つでしょう。主人である神様に不信感を持つはずです。主人に文句を言う労働者を主人はまた雇うでしょうか。

 主人に感謝し、ぜひまた私を雇ってくださいという最後に雇われた労働者こそ主人つまり神様に喜ばれる人なのです。ともに神の国にいることになるでしょう。聖書の話はあなたはどの立場ですか。ということを聞いてきます。今日の話は現代人には受け入れがたい話だと思います。

 まあそれはそれで良いと思います。美術品と同じです。価値があると思う人にしか価値のないものなのです。つまり信仰とは極めて主観的なものなのです。

 明日は所用で忙しいのでもしかしたらブログをお休みするかもしれません。