新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

街の変化から時代を見る。

今日も晴天でした。8月と違って今は乾燥していて過ごしやすいです。今日は一日忙しかったです。午前中は畑の整理、午後は試験問題作りです。やっと1年生の分が完成しました。今日は解答用紙と模範解答作りです。

 たったこれだけなのに、3時間くらいかかりました。2年生は明日作ります。試験が来週なので、何とか明日までに完成させなければなりません。

 株式市場は今日も値上がりでした。今日も建設株が上がっています。おじさんの持ち株の建設会社株もそれなりに利益は出ているのですが、目標の値段までにはもう少しあるので、取りあえず様子見です。ただオリンピック招致の盛り上がりも今週いっぱい、長くても今月中でしょう。

 何と言っても2020年の話なのですから、今の値上がりがそんなに続くわけではありません。10月の消費税値上げ確定でまた相場は動くでしょう。どの時点で売るか迷っています。

 さて最近おじさんの街でも変化がありました。時代の流れをよく表しているのでそれについて書きます。まず最初は斎場が廃業したことです。この斎場は15年くらい前にできました。斎場だけで営業所のようなものはありませんでした。

 何と中学校の前にできたので、お葬式と下校時間が重なったらどうするのだろうと思っていました。入学式の当日の着飾ったお母さんたちがぞろぞろ入る前でお葬式というのもなあと思っていました。斎場の経営者はこれから高齢社会になるのでお葬式が増加するのだと思ったのでしょう。

 ところが、そう考える経営者は多いようで、その後ぞくぞくと斎場ができました。何とホテルだったところも斎場になりました。そこの斎場の売りは、宿泊できる斎場でした。

 結局一番古くからある斎場だけがはやっています。ここは私の母の義父もお葬式をしたところです。先日通りかかったら斎場を壊していました。次にどんな施設ができるかは不明です。葬祭事業は有望だと言われますが、誰でも考えることなので、なかなか難しいです。

 次は合併した銀行の話です。おじさんの街には地銀の支店が3行と信金が一つありました。そのうちの地銀が合併して一つになりました。その支店の後は貸家になっていたのですが、10年近く安定した借主はでませんでした。そして先日そこを取り壊してとうとうマンションになることになりました。

 おじさんの街は一時衰退していました。おじさんの街は40年くらい前に新興住宅街として作られました。おじさんは37年くらい前に越してきました。その頃が一番にぎやかでした。何と銭湯まであったのです。

 しかし、その頃30歳代だった人もすでに70歳を越しました。それに子供たちも独立して皆出ていったのです。それでおじさんの家の近くの小学校も統廃合の話まで出ました。ところが、おじさんの家から少し離れたところにバイパスができたのです。

 それに伴って再開発が進み、商業集積も行われました。病院やスーパーも進出してきました。それで再び若い方が来ました。最初はアパートができ、次第にマンションもできるようになりました。以前ほどではありませんが、にぎわいが戻ってきたようです。

 そして全く意外なことがまたありました。何とスーパーの中に地元デパートの出張所のようなものができたのです。そのデパートは一応東証一部上場です。おじさんの街にはそのデパートともう一つデパートがあったのですが、もうひとつのデパートは閉店しました。

 本店はおじさんの住む市の一番の繁華街にあります。おじさんの街のような地方都市でも時代の流れとともに企業も変化していくのです。時代を早読みして成功した企業もあります。そこは材木屋さんだったのですが、15年くらい前に介護事業に進出して成功しました。

 それから10年くらい前、遅れて別の建設業の方も介護事業に進出しましたが、うまくいきませんでした。機を見るに敏という言葉がありますが、なかなか難しいです。

 明日から金曜日まで試験前最後の授業があります。