司法官の苦悩(永遠の汚名)ー心証と政治的判断
今日は台風の影響か風が強かったのですが、雨は降りませんでした。日曜日なので午前中は教会です。午後は所用を済まし、昼寝などをしてこれを書いています。
今日は日曜日なので恒例の教会ネタ(聖書ネタ)です。先週も書いた総督ピラトのことです。いよいよ今日の聖書個所はイエスの裁判へと進みます。
まずタイトルの「司法官」とは総督ピラトです。ローマの総督は江戸時代の代官のように司法官つまり裁判官としての権限がありました。他に税金の徴収や治安の維持、駐留軍の最高司令官の立場もあったようです。
マリアは「おとめマリア」より生まれと告白するのですが、ピラトは「ポンテオピラトのもとに苦しみを受け」となるのです。この信条だけを見るとピラトはイエスキリストを苦しめた悪人のように見えます。しかし、聖書を読んでみますと随分印象が違ってきます。
前回の続きで言えば、ピラトはイエスに尋問した後ユダヤ人たちに「わたしはあの男に何の罪も見いだせない」と言います。司法官ピラトの心証は無罪だったのです。現代の裁判では裁判官の自由心証主義をとっています。罪を告発するものがいても、裁判官が無罪だという心証を持てば無罪なのです。
もしそのままピラトが自分の心証を貫けば2000年近い後の現代彼は模範的な司法官としてその名を歴史に残したでしょう。しかし、ユダヤ人たちは彼が自分のことを王と自称したと言って告発を続けます。それでもピラトは「イエスを釈放しようと」務めるのです。
ユダヤ人は最後の手段に出ます。それは、もしピラトがイエスを釈放するならあなたはローマ帝国の反逆者をかばってことになると言うのです。聖書の箇所では「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」とあります。
つまりピラトがイエスを許すならピラトを反逆者をかばった罪で皇帝に告発するというのです。そうなれば、ピラトは植民地ユダヤをきちんと統治していないということになります。江戸時代の代官で言えば、幕府にそむく者をかばったと地元の有力者(庄屋など)が江戸の訴えでれば、代官は当然江戸に呼び戻されて事情を聞かれるでしょう。
最後にユダヤ人最高の宗教指導者である祭司長は「わたしたちには、皇帝のほか王はありません。」と答えるのです。ユダヤ人にはもちろん王がいますが、ここで言うのは最高の権威という意味での「王」だと思います。つまり、ユダヤ人が信仰している神「ヤハウェー」より皇帝を上位に置き、皇帝の権威を受け入れると言っているのです。
ユダヤ人は皇帝より「ヤハウェー」(主なる神)を上位に置いていました。そのためローマ帝国はしばしばユダヤ人の反乱悩まされたのです。当時も熱心党を呼ばれる反ローマ団体がありました。祭司長つまり宗教指導者はイエスを処刑すれば、ローマの統治に協力すると言うのです。
たとえて言えばイランで最高位の宗教指導者がある人間を排除すればアメリカ政府に協力するというようなものです。これは総督ピラトにとってある意味魅力的な提案でした。イエスが無罪であることは間違いない事実です。
しかし、イエスを釈放するなら社会の混乱と自分の身分を脅かす政治問題を導き出すと考えたのです。その時の判断は間違いなかったと思います。ピラトがイエスを釈放すれば、祭司長たちはローマ総督府に公然と抗議するでしょう。
今風に言えば大規模なデモが起こるでしょう。同時にローマ皇帝へのピラトの告発状が送られ、事情聴取のためにピラトはローマに召喚され、当然のことですが、事実が何であれ植民地で騒動を起こしたという理由で総督の職を解任されたでしょう。
しかし、歴史を見れば、それでも「ポンテオピラトのもとに苦しみを受け」と固有名詞で世界中のキリスト者から軽蔑されることはなかったでしょう。もちろん前述の言葉をピラトは知らないまま死んだと思います。
「人死して名を残す」という言葉があります。政治的に正しい判断をしたピラトは歴史的には永遠の汚名を残すことになったのです。それも世界中の教会で毎日曜日唱えられるので。
おじさんの教会も中国の教会も毎回の礼拝で使徒信条を告白するのです。人間の不思議な運命について考えさせられました。司法官というものは命をかけてでも自分の信念を守らなければ、永遠の汚名を被るという教訓としても、聖書は読むことができるのです。
今日のブログは全く聖書神学の解釈ではありません。それはあらかじめ書いておきます。あくまでのひねくれ者のおじさんの独断と偏見による解釈なのです。
明日は教会の方の前夜式があるので行きます。