新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

前夜式に行ってきました。・・人死して

今日も晴天でしたが、乾燥して過ごしやすい一日でした。昨日は午前中は所用で午後は二女と孫たちが来ました。夕方からはこれから書く前夜式に行ってきました。それやこれやで忙しくてブログを書く時間がありませんでした。

 今日は午前中はツマクマの所用の付き合いをして午後は疲れがでて昼寝です。それから庭の水やりや洗車などをしてやっと今これを書いています。株価は安値引けでした。これは売り圧力が強い証拠です。先週オリンピックミニバブルで株価が大幅に上昇したので利益確定売りがでたのでしょう。

 安値の建設株がおもちゃにされているようです。7年先の話なので業績などどうなるか分からないのに取りあえず話題に乗って売買されているようです。値段が安いので手掛けやすいのでしょう。

 おじさんの持ち株で言えば技術を信じて買った株が年初来高値を更新しました。地味な株ですが、以前仕手的な動きをしたこともあります。こんな株は何か材料があると大きく動くものなのです。取り合えず買値から100円上がったら売ろうと思っています。(今80円くらいです。)

 業績もよいようなので、短期売買ではもったいないです。買ってまだ3ケ月くらいです。アメリカの動きも気になります。オバマ大統領の権威がどんどん下落しているようです。残りの任期はレームダック状態になりそうです。

 さて今日は前夜式について書きます。前夜式というのはお葬式の前夜にそれに向けて行われる儀式です。日本でいうお通夜に似ています。キリスト教の結婚式に出られた方は多いと思いますが、キリスト教のお葬式に出られた方は少ないと思います。

 結婚式の場合キリスト教信者でなくてもしますが、お葬式はキリスト教信者以外でする人はほとんどいないからです。以前の牧師先生によれば、結婚式は信者以外原則としてしないが、お葬式は信者でなくても本人が生前希望して遺族から望まれればやると言っていました。

 事実身寄りのない方で生前キリスト教でやってほしいと言っていた方のお葬式をしたそうです。さて前夜式ですが、内容は讃美歌と奨励です。奨励というのは牧師先生の簡単なお話というものです。奨励というのは本来おすすめという意味です。

 礼拝の説教などと違ってなくなった方の略歴や人柄を中心に紹介がなされ、亡くなった後天に昇って神様の国にいると言った話です。もちろん牧師先生によっては人の死の意味などのついて話されます。

 讃美歌は今回の前夜式では本人の愛唱歌(好きな歌)が歌われました。愛唱歌というのなその方の信仰のありかたを表しています。

 今回亡くなられた方はおじさんの教会の教会員です。時々御両親など親族の方の場合もありますが、教会員御自身です。今年になって2人目です。83歳でした。半年前まで教会の礼拝に出席できたのですが、病気が急に悪化して3月ほど寝たきりになって亡くなりました。

 その方は大病院の院長さんでした。どのくらいの大病院かと言えば、地域の高額納税者に名前がでるほどの方です。そんな方でしたが、30年くらい前おじさんたちの教会を訪ねて来られました。当時はまだ建設現場で使われるようなコンセットハウスを会堂として使っていました。(後おじさんの別荘として使いました。)

 礼拝室と台所トイレ、それに予備の部屋が一部屋あるだけの質素な教会堂でした。(牧師は別のところに住んでいました。)おまけに土地を3000万円以上で購入したので借金だらけです。普通であればそんな社会的な地位のあるかたならもっと立派な大きな教会に行くと思うのです。

 ところが開口一番「この教会こそがわたしにふさわしい。」とおっしゃいました。愛唱歌はその人の信仰を示すと書きましたが、この方の愛唱歌はイエスの生涯を歌った歌です。讃美歌121番です。「馬槽の中にうぶごえあげ、木工の家にひととなりて、貧しきうれい、生くるなやみつぶさになめし このひとを見よ」という歌なのです。

 この方の御両親も熱心なキリスト信者でお医者さんだったそうです。御本人も幼児洗礼を受けましたが、17歳の大学生の時信仰告白をしてキリスト者になったのですが、戦争後の混乱の中で信仰に疑問を持って一時教会から離れたそうです。

 その後大病院を開院された後思うところあって再び教会に戻ってこられたそうです。大病院の院長さんと言えば政治に関心を持ったり、医師団体の役員になったりする場合が多いです。あるいは日曜日にはゴルフをしたりヨットを持ったりということもあるでしょう。

 この方は日曜日にはよほどでない限り教会に来られました。またバザーの時には食券を売る係になった、礼拝前にはスリッパを出して揃えたりされました。実るほど頭をたれる稲穂かなという言葉もありますが、まさにその通りです。

 教会でこれだけの態度を示すのですから悪得医などということはあり得ません。それで教会員の方も安心してこの病院のお世話になりました。もちろん教会建設にも多額の献金を下さいました。大病院の院長だから当然だと思う方もありますが、人はお金があるから献金するものではありません。

 金持ちほどケチだと言う言葉もあります。大病院の院長さんだから当然それなりの収入もあると思いますが、それを何に使うかはその人の価値観の問題です。書画を集める趣味であってもそれを非難する人はいません。

 教会が完成した後、最後にエレベーターがほしいということになりました。しかし時代はバブル後の低成長の時代に入っていました。その時エレベーターのお金を全額献金してくださいました。それも完成するまで匿名にしてほしいと言う条件です。

 最後に人死してという言葉の後には名を残すと続きます。この方の前夜式に行って驚いたのは、まず香典の類を一切お断りになったことです。ちなみに弔問客は300人はいました。会場の椅子が全て埋まっていました。

 祭壇も立派に飾られていました。決して質素な会場ではありませんでした。帰ってあれと思ったことがありました。考えてみれば会場ががらんとしていました。そうです花輪の類が全くなかったのです。入口にだけ医師会の花輪だけありました。

 おじさんの母親が死んだ時でも長兄の会社次兄の会社おじさんの勤務先の学校、弟の勤務先などから花輪が届きました。それ以外に関連企業などからも花輪が来ました。

 それで式場は花輪で満杯になりました。大病院の院長さんのお葬式ですから入りきれないほどの花輪が届いたと思います。それをお断りしたのだと思います。キリスト教のお葬式では華美なものを嫌います。神様のもとに召されて帰る時なのです。

 心静かに送り出すものなのです。いろいろなお葬式(仏式・神道式も含めて)に行きましたが、香典を全てお断りし花輪を全てお断りするお葬式は初めてでした。一つの生き方なのだと思いました。(全て故人の遺志なのだそうです。)

 おじさんたち夫婦もこんなお葬式もいいねと話合いました。墓地はこの方も私たちも同じ教会墓地におさめられます。皆さん信仰の友なので同じ納骨室で永遠の時を過ごすのも悪くないと思います。それに墓標にはおじさんの娘婿がデザインしたキリスト教のシンボルマーク(魚)が描かれています。

 真っ暗な墓地で一人寂しく過ごすのと違って、信仰をともにしたかたとの永遠の時も悪くないと思います。明日はおじさんの試験があるので監督に行きます。