新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

選択と集中ー必要性と困難性

昨日はツマクマの所用に付き合った後、ツマクマの友人と会ったりしたので、ブログを書くことができませんでした。ツマクマの友人は先日ロシアへのツアーから帰ってきたばかりです。

 ロシアの土産話を聞きました。おじさんの中国体験と重なるところがあるので、またいつか書きます。株価は小動きです。日曜日には堺市長選挙があるし10月1日には安倍首相が消費税引き上げを発表する予定だし、アメリカでは政府機関の閉鎖が言われています。

 ですから取りあえず来週いっぱいくらいは神経質な動きになると思います。法人税の復興税部分の終了などに自民党公明党から反対がでています。

 来週には取りあえず目標額を超えている株式を売却する予定です。特に入り用はないのですが、お金はあって困るものでもないし、株式相場の流れが変わると、一気に値下がりする可能性があるからです。

 さて今日は選択と集中について書きます。選択と集中は様々な分野でなされなければなりません。ただ日本の場合それが極めて難しいのです。しかし、その必要性もあります。

 まず高齢社会についてです。高齢社会は特に地方で進んでいます。地方の場合、少数の人が広範囲に住んでいます。行政効率を考える場合極めて効率が悪いです。ですから、地域を選択して、そこに住民が集中するのが一番効率的でしょう。

 効率イコール財政負担の減少にもなります。しかし、今の社会では無理でしょう。本人が同意しないのに移動させることはできないでしょう。産業についても同様です。斜陽化した産業を選択し他の今から伸びる産業へ集中すると言うも無理でしょう。

 そういえば今問題になっているJR北海道についても同様です。もし、採算のとれるあるいは赤字が少ない路線だけ残して経営資源を集中し、他を廃止すれば問題は減少するでしょうがそうもいきません。もし路線をどんどん廃止すれば、地元の反対がすごいと思います。

 公共施設の選択と集中も難しいでしょう。公立病院や公立学校の統廃合もすぐに反対運動が起こります。農業分野でも、農地法などで農地の選択と集中ができません。

 まあ日本は平等を原則とするので仕方のないことです。逆に効率一番の選択と集中が行われれば息苦しい社会がやってくるかとも思います。

 おじさんの余命はせいぜい最大で20年といったところなので、選択と集中のできない日本がどうなるのか最後まで見れないと思います。安倍さんは威勢の良いことを言っていますが、高齢社会と格差社会で日本の将来は暗いでしょう。

 明日は孫の運動会を見に行きます。