新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

昇天と召天ー召天者記念礼拝がありました。

今日は久しぶりの雨でした。日曜日なので教会です。今日は教会暦でいう召天者記念礼拝でした。午前中は礼拝で午後から墓前礼拝がありました。

 墓前礼拝というのは教会の共同墓地の前で礼拝をするのです。墓前礼拝というのは年に2回あります。一回目はイースター礼拝です。イースターは年によってかわるのでしが、3月か4月始め頃にあります。

 ところで「しょうてん」というと「昇天」の字を思いつくと思います。まさに天に昇るという意味です。しかし、教会では「昇天」の語を使いません。ワープロなどで「しょてん」と入れても「召天」という語はでてきません。日本語としては、まだ通用していないようです。

 「昇天」と「召天」では意味がどう違うのでしょう。「昇天」というのは文字通り天に昇るという意味です。地上の生活を終えて天に昇るという意味です。単に魂が天に昇るという意味です。仏教でいう極楽往生という意味に近いでしょう。

 ところで「召天」という意味ですが、こちらは「天に召される」という意味になります。ここには、まず人間はある使命を持って地上に遣わされるのだと考えています。

 そして人はその与えられたこの世つまり地上での使命を果たすのです。そしてその使命が終わったら、天にまた召し戻されると考えるのです。

 もちろんこれはおじさんの考えであって、正統神学的解釈ではありません。おじさんも死ぬと教会の共同墓地に葬られます。ここにはすでに亡くなった方が葬られています。半地下式の墓地です。最低でも70人くらいは納ることができます。

 それ以上になって納骨できなくなると地に戻します。亡くなった方の名前と人生を壁に刻みます。生臭い話ですが、納骨料ですが、教会員は無料です。お寺ですとこうはいかないでしょう。

 もちろん教会員以外だと納骨料をいただきます。もちろんお寺でいう永代管理料のようなものも不要です。教会墓地自身の管理料は必要です。霊園に払わねばなりません。

 最後に今おもしろい本を読んでいます。もちろん日曜日なので教会関係(キリスト教関係)の本です。題名は「福音書解読」-「復活」物語の言語学です。著者は「溝田悟士」という人です。おもしろいのは、この本はキリスト教関係の出版社でなく「講談社」です。

 内容はイエスが復活した時にいた若者とは誰かという内容です。わざわざ買って読むほどのこともないので、読み終えたら結論をお知らせします。

 明日は祭日なので娘と孫たちが来ます。