歴史評価の難しさ
今日も学校です。晴天な上に暖かだったので助かりました。来週もう一回授業があって試験です。試験問題はすでに提出したので一安心です。
株価の方は大幅高の後上げ幅が縮小しました。なかなか一気に値上がりとはいかないようです。円相場はとうとう100円台まで来ました。さらに円安になるか来週以降が注目されます。
さて今日は歴史評価について書きます。先日アゴラというサイトを見ていたらおじさんも同意できる内容の記事があったのでそれに触発されて書いています。
そもそも歴史上の出来事をどう評価するかはどの位置に立つかによって大きく異なります。最近では明治維新ですが、幕府の側から見れば薩摩長州の行動は明らかに許せないものでしょう。薩摩長州が最終的に勝利したので、不問も付されています。
独立運動も独立する側からすれば正義であっても独立される側からすれば国家反逆罪ということができるでしょう。事実独立運動が起こっても断固弾圧する政府の方が多いです。(トルコのクルド問題やスペインのバスク問題など)
実は今中国国内で伊藤博文を暗殺した韓国人についての碑ができることを巡って日本政府が彼は犯罪者だと言って韓国国内で反発を買っています。日本の側からすれば当然殺人犯ということになります。
壬申の乱ですから明らかに反乱です。もし敗北すれば国家反逆罪で天武天皇は処刑されていたでしょう。歴史は常に勝者に好意的です。日本も先の大戦で敗北しました。そして韓国は結果的に独立しました。そうなれば勝者の歴史が評価されることになります。
アゴラで歴史について触れていた方は歴史的な評価の問題についてはそっとするのが一番良いと書いていましたがその通りだと思います。韓国については韓国併合や創氏改名などの問題もあります。遡れば秀吉の朝鮮出兵もあります。以前は朝鮮征伐と言っていました。朝鮮の側からすれば征伐される理由はなかったと思います。日本側の意見もあるのでしょうが、歴史は先述したように勝者に好意的なのです。
明日は長女が帰ってきます。