新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

国際ギデオン協会を御存じですか。

今日も晴天です。今日は昨日以上に温かでした。今日は日曜日なので教会ネタです。教会の説教は復活についてなので難しすぎるので書きません。

 パウロも言うように信仰がなければ復活などうるさいドラのようにやかましい響きしかないからです。さて今日はギデオンラリーとうのがあったので、ギデオン協会について書きます。

 ギデオン協会というのは簡単に言えば聖書の無料配布をしている国際的な団体です。そもそもの始まりは1898年にアメリカである青年同士が出会って、この協会を作ることにしたそうです。

 日本では1950年に支部が作られたそうです。そう言えばおじさんが中学生の時、家にギデオンの配布した聖書がありました。おじさんが中学生だったのは1960年頃なので、その頃まだ聖書は珍しかったと思います。

 その頃のギデオンの聖書はハードカバーでとても立派でした。英語と日本語の対訳になっていてもとてもレベルが高い気がしました。戦後しばらくの間日本ではキリスト教がブームになって多くの教会が作られ宣教師の人が来ました。
 
 おじさんの住んでいた街にもミッション系の大学で教えていた宣教師の人が教会で聖書と英会話を教えていました。私も兄たちに連れられて行きました。英語と日本語の対訳のギデオンの聖書をテキストに使っていたように思います。

 おじさんもギデオンの聖書を持って教会に行き始めました。長くギデオンの聖書を使っていましたが、旧約聖書の部分がないので、後に旧約付きの聖書に換えました。

 教師になってもしばらくの間は学校も自由でギデオン協会から頼まれて生徒さんに聖書を配布していました。校内でも個人的に配布する分には構わなかったようです。放課後聖書研究会などもしていました。卒業生の人でそのことを覚えていて同窓会などでその話をしたりしてくれます。

 その昔は学校で贈呈式などもしていたようです。今は厳しくなったそんなことは無理です。今は校門の前などで配布しているようです。今日はギデオンラリーと言ってギデオン協会の人が教会に来て、ギデオンの趣旨を話して献金をつのるのです。

 おじさんも献金しました。その際ちょっとおもしろい話を聞きました。それはおじさんも感じていたことです。ギデオン協会の方が言うには、以前聖書を配るとあちこちに生徒さんが捨てて自分たちが拾ってまわるのに困ったそうです。しかし、今は全くそんなことがなく、貰った生徒さんが、一冊でなくもっと下さい、それを友達や家にの人に上げたいというのだそうです。

 おじさんも以前いたようなヤンキー少年を見なくなったと思っています。郊外のおじさんの住む地域だけでなく、市の中心街の繁華街や県庁所在地の街に行っても同様です。顔つきを見えても中高生が皆おだやかになったようです。

 以前尾崎豊の歌をはやらなくなったと聞いたことがあります。社会や学校、両親に反抗する子がへって皆いい子になっているという記事でした。それだけ豊な社会になったのかもしれません。生活が厳しい家庭でも逸脱行為をしなくて、その状況を諦めて受け入れているのかもしれません。

 理由なき反抗と言われた青春時代など今はすでになくなったのかもしれません。同調圧力が以前に比べて格段に強くなった現代において一人だけ他の人と違った格好をするなどあり得ないのかもしれません。また仲間とつるんでコンビニに前に座り込むでだべるより、家に帰ってゲームをする方が楽しいのかもしれません。

 ギデオンの話から現代青少年論になってしまいましたね。明日は教会の仕事(教会記録の整理)をするつもりです。