東京オリンピックの時代
今日は風は強かったのですが、一日晴れでした。ツマクマは高校時代の友人との会食です。高校を卒業して
45年ぶりくらいの再会です。偶然連絡がとれて今日3人で会ったのです。
おじさんは試験の採点です。まだ余り進んでいません。株価の方はちょい安だったようです。なかなか一気に上昇とはいかないようです。円相場も102円まで来ました。どこまで円安が続くのか全く予想不能です。
さて土曜日と日曜日二夜にわたって「オリンピックの身代金」というドラマが放映されました。前評判も高かったので見てみました。テンポも早く出演者も豪華で見ごたえがありました。
おじさんは当時高校2年生でした。団塊の世代はちょうど高校生になっていました。「高校三年生」という歌が大流行していました。高校入試も大変でした。何とか無事公立高校に合格できました。
近隣にはもっと上の進学校があって国務大臣などもでています。さてオリンピックの時代はまだまだ貧しい時代でした。テレビは一応ほとんどの家庭に普及していました。おじさんの家にテレビが来たのは小学5年生の時でした。電話がやっと各家庭に設置され始めたころです。
自家用車もそろそろ普及し始めていました。あの番組の中で農村からの出稼ぎが話題になっていました。おじさんが高校を受験していた頃、都会へは集団就職の列車が次々に到着していました。東京へは東北から多くの中学卒業生が就職していたようです。
豊かになるために懸命に田舎から出てきて働いている姿は2年前にまでいた中国の姿を思い出させました。中国も北京オリンピックをなんとか成功させようとしていました。中国のおじさんの街でも農村から出てきた労働者が大勢働いていました。
ビニールシートで作った小屋に寝泊まりしていました。東京オリンピックの時代と現代の大きな違いは、当時は将来豊かになるという夢がありました。現代のように目的を持てない若者はほとんどいませんでした。仕事はいくらでもありました。
努力すればいくらでも豊になることができました。夢のあった時代です。今日より明日、明日より明後日の方が豊かになると信じられていました。大学紛争もありました。安保闘争がやっと終わった頃です。(安保の時代おじさんは中学生でした。)
今では信じられませんが、私鉄ストや国鉄ストがあっていました。また三池炭鉱の大争議もありました。大学生はデモ行進をしていました。今の大学生はデモなどしないでしょう。政府に好意的です。オリンピックの時代の大学生はほとんど反政府的でした。
大学進学率は10%くらいだったと思います。大学生は当時エリートだったのです。大学の数も今よりはるかに少なかったです。大学を卒業すれば今と違ってエリートになれたのです。
当時は老後のことなど考えたこともありませんでした。おじさんが高校を卒業した頃から高度成長期に入りました。大学を卒業する頃は大学生は就職天国でした。地方から東京へ会社の受験に行けば交通費が貰えた時代でした。
もう現代の日本では失われた時代です。人は生まれる時代を選ぶことができません。生まれた時代の中でがんばるしかないのです。と言っても決して楽な時代ではありませんでした。受験戦争という言葉が流行し、四当五落(四時間寝たら合格し、五時間寝たら不合格という意味です。)という言葉もありました。
今思えば辛いけれど希望に満ちた時代でした。しらけたり、引きこもったり、ゆとりを持っていたらあっと言う間に取り残される時代だったことは間違いありません。その代わり陰惨ないじめも不登校も拒食症もほとんどありませんでした。
人をいじめる暇もありません。大勢の中で取り残されずに生きていくので精いっぱいでした。食べるのがやっとの時代拒食などしたらお腹がすいてたまりません。家庭にいてもすることがないので皆学校に来ていました。休み時間や放課後みんなでサッカーをしたり野球をしたりしました。
団塊の世代がすぐつるむというのはそんな体験があるからです。テレビを見ながら懐かしいと思いました。それにしてもよくこの年まで生き延びれたものだと思います。オリンピックの時代また戦後間もない頃のことを思えば中国での生活など天国でした。
明日も試験の採点です。