新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

キリスト者としての黒田官兵衛

今日も晴天でした。余り晴天が続くと畑が水不足になるので困ります。明日から雨との予報なのでちょっとほっとしています。ただその後急激に寒くなるとのことでそれも困ります。

 今日のニュースを見ると防空識別圏問題で日中だけでなく、韓国も独自に設定したようで、アメリカも頭を抱えていると報道されていました。それにTPP交渉も難航しているようです。担当の甘利大臣も入院してしまい、どうなるのでしょう。

 さて今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。今「八重の桜」では同志社の創設者新島襄について取り上げられています。ご存じのように新島襄は明治の著名なキリスト者です。

 ところでブログのタイトルの黒田官兵衛は来年の大河の主人公です。彼が戦国時代の軍師として活躍したのは良く知られている通りです。それで、たまたま学校の図書館で「黒田官兵衛」(中公新書 諏訪勝則著)を見つけて読んでみました。

 この本ではまず黒田官兵衛を軍師というより、地域総司令官としての役割の方が大きかったと書いています。この本の著者はできるだけ通説簡単に言えば世の中で知られた逸話ではなく歴史的に確認できることだけを取り上げたと書いています。

 彼は武人として優秀であったことは事実のようです。戦いの後信長や秀吉さらには徳川家康からも感状【戦いで手柄を上げたことへの感謝状)を沢山もらっています。

 また文学にも通じ、茶の湯についても造詣が深かったようです。それと同時に著者は「敬虔なキリシタン」としての側面もあったとします。この本の著者はわざわざ一節を設けてその点について触れています。

 彼が受洗したのは40歳頃であったとこの本の著者は年譜で書いています。戦国時代の40歳と言えば現在のシニア世代に該当します。イエズス会日本年報によると高山右近蒲生氏郷の勧めで受洗したようです。当時のキリシタン宣教師は日本であった主な出来事を逐一バチカンに報告していたのです。

 戦国時代のバチカンは日本で起こった政変(本能寺の変)についてもちゃんと知っていたのです。当時バチカンは世界中の情報を把握していたのです。今のアメリカの情報機関並みです。あるいはそれ以上かもしれません。情報は全て宣教師が自ら確認した事項だけを報告しているからです。

 お金を出して協力者から入手したようなあやふやなものではありません。息子の長政も受洗したようです。さらにすごいのは、秀吉が禁教令を出した後も信仰を捨てなかったことです。前掲書によれば「長政は秀吉の禁教令が出されてもキリスト教から離れることはなく、自分の妻や重臣たちに教えを説いた。自分はキリシタンであることを公言していた。」とあります。

 当時南蛮貿易の利益を狙ってキリシタンになる人が結構いたようです。そんな人は秀吉の禁教令がでると棄教したようです。秀吉はキリスト教を棄てないことを知って非常に憤りを感じたようです。高山右近などは処罰されたようです。しかし、黒田官兵衛は秀吉からの信頼は厚くとがめられなかったようです。

 前掲書によれば「秀吉は官兵衛がキリシタンになったため、あらかじめ決めていた国を与えなかった。もしキリスト教を捨てる意志があるならばその領地を与える用意があったという。」それだけでなく「秀吉は官兵衛がキリシタンになることを激しく非難したが、九州遠征において大変功績があったので豊前の領地は没収することなく現状を維持した。」とあります。

 絶対的権力者であり、時として反対者の一族を皆殺しにする(関白秀次など)残忍さを持っている秀吉なら自分の意見を聞かない官兵衛を罷免し処刑することもできたでしょう。官兵衛はたとえ領地を失い、命を失っても信仰を捨てなかったと思います。

 禁教令以後も福岡の街でキリスト教を保護したようです。秀吉もそれを黙認したようです。官兵衛の家臣団も彼を信じ慕っていたようです。武人としても優秀であり、戦いが巧みで、文化人でもあり、人間的にも信頼に値する(脅されても信じる信仰を棄てない)なら当然のことですが、彼に対する信頼を家臣が持つのは当然です。

 前掲書によれば官兵衛が京都で死んだ時「彼ら(主だった重臣)は、異教徒ながらも、蝋燭を手にして墓所まで遺体に付き従った。彼らはキリシタンたちの埋葬の仕方、それを行う敬虔さ、その際の美しさとしつらえを飽くことなく褒めた。」とあります。出典は「イエズス会日本報告集」です。

 著者は「葬儀は博多で荘厳に行われた。彼は最後までキリシタンであった。」としています。彼が死んだ時代はすでに徳川家康の時代になっていたのです。

 軍師としての黒田官兵衛の姿はよく知られています。おじさんも何となく彼がキリシタンだとは知っていましたが、こんなに敬虔なキリシタンだとは知りませんでした。何となく禁教令の時代に棄教したのだと思っていました。

 立派なキリスト者が過去にいたのは同じキリスト者として誇らしいです。キリスト者と言えば何となく軟弱な気がしますが、武人であり、文化人であり、政治的なセンス抜群(信長・秀吉・家康から信頼されました。)な人間もいたのです。

 ちなみにこの本の著者は大学教授でなく、陸上自衛隊高等工科学校の教官です。明日はツマクマの所用のお付き合いです。