新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

終活の時代です。

今日は一日寒かったです。一時晴れましたが雨も降っています。今日は午前中授業でした。成績提出も終わりました。

 株価の方も100円近くの下げでした。12月に入って上がったり下がったりです。日経平均15500円台で綱引きです。年内には円安も一段落で狭い範囲での動きになると思います。

 さて今日は終活についてです。おじさんも66歳になって少しずつ将来について考えるようになりました。今は同じ年のツマクマと92歳の義母との3人暮らしです。

 義母はまだ要支援1級で生活にはほとんど問題はありません。しかし、おじさんたちも後数年で70歳になります。そうなれば義母も95歳ということになります。

 今義母は元気ですが、もし介護が必要になった時老老介護になります。子供たちは皆違う街に住んでいます。子供も仕事を持っていたり子供がいたりで介護は無理でしょう。

 自民党保守派の人は家族の責任を主張しますが現実問題としては不可能です。最近見た記事には65歳から老人ホーム探しをして75歳で入所を考えようというものでした。

 ちょと老人ホームについて調べてみましたが、なかなか難しいです。特養などは費用が安いですが待機者が大勢いるようです。それに介護保険が適用されない場合は入所は難しそうです。

 健康だけれど将来介護が必要な人は相当高額の利用料を払わなければなりません。物にはそれなりの値段がかかります。便利で広くてきれいで、人員も揃っていたら利用料が高くなります。安くて良ければ当然入所を待っている人が大勢いるでしょう。

 だからと言って早いうちに申し込んでおもいがけなく入所を言ってきたら困ります。体が効かなくなったり、配偶者が病気になって入所するとなるとすぐに入所は無理です。

 高齢になればなるほど新しい環境に慣れるのに時間がかかります。以前見た記事では75歳くらいが環境に慣れる限度のようです。おまけにおじさんたち団塊の世代は同世代の人が大勢いるのです。そしてその世代が一斉にある年を過ぎると高齢者になります。

 また究極の終活は死です。どのように死を迎えるかの問題もあります。死に方はいろいろありますが、それは事前に分かりません。しかし、死んだ後のことは予想できます。簡単に言えばお葬式はどうするのか、どこに葬られるのかという問題です。

 死ぬ時期もある限度があります。男性であれば80歳台になればいつ死ぬか分かりません。団塊の世代でいえば後13年くらいで来ます。お墓はどうするのでしょう。大都会ではお墓難民もいるそうです。さりとて田舎に葬られてもお参りに来てくれる人もいません。

 死後の世界についてはどうなるのでしょう。灰になって風に吹かれてどこかに飛んでいくと考えるならそれもいいのですが、ちょっとむなしい気もします。残された子供たちもそうはいかないでしょう。

 お葬式の仕方もいろいろです。今家族葬友人葬もいいかもしれません。おじさんの場合、葬儀の仕方も墓地も決まっているので安心です。

 今日発行の経済週刊誌でも介護が2誌で取り上げられていました。今はそんな時代なのです。そんな時代なのに安倍さんは憲法を改正して戦争をしたいようです。申し訳ないのですが、老眼で体力のない団塊の世代は戦争に参加できません。

 もし先の大戦なみに死者が出れば二度と日本が復活する道はなさそうです。明日も授業です。