新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

3つの賛歌(ザカリア・マリア・シメオン)

今日は午前中は曇りから小雪でしたが、午後からは晴れてきました。今日は午前中は教会で、午後から孫が来ました。

 孫は一人は中学生でもう一人は来年4月から小学生です。おじさんの孫はこの二人だけです。このところ安倍さんの靖国参拝について書きましたが、今日は日曜日なので教会ネタです。安倍さんの参拝についての評価はこの数日の動きで大体分かってきました。またいつか書きます。

 さてタイトルの3つの賛歌のうちザカリアとマリアの賛歌はイエスの誕生に関するものです。一方シメオンの賛歌はイエスが幼児になってからのものです。

 イスラエルの習慣では男子は皆宮で聖別してもらうため宮に行ったのです。その宮でイエスはシメオンに出会います。彼は信仰に篤い人で、「主が遣わすメシアに会うまで決して死なないとのお告げを聖霊から受けていた」人でした。(ルカ福音書2章25節)

 その彼が「聖霊に導かれて神殿の境内に入って来た」時幼子イエスに出会うのです。(前掲書)そしてシメオンが幼子イエスを腕に抱いて歌ったのがこのシメオンの賛歌なのです。キリスト教信者以外にほとんど知られていない賛歌です。

 いろいろな賛歌がありますが、このシメオンの賛歌は壮絶なものです。イエスに出会ったシメオンは「この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」と歌うのです。(前掲書29~30節)去らせてくださいますというのはもちろん死ぬことを意味します。

 幼子イエスに会ったからも死んでもいいと思ったというのです。シメオンはイエスのことを「万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光」と言います。(前掲書31~32節)万民といい、異邦人といいどちらの言葉もユダヤ人だけでなく世界の全ての人の救いを暗示しています。

 同時にシメオンはイエスの母マリアに不吉な予言をします。それが「あなた自身も剣で心を刺しぬかれます。」と言うのです。それは同時に「多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」(前掲書34~35節)と言うのです。

 もちろんこの時マリアは何を言っているのか分からなかったと思います。世界中で祝われるイエスの誕生の後にはこのような不吉な予言もあったのです。

 ルカ福音書ではもう一人の高齢の女予言者も登場します。アンナと呼ばれ八十四歳であったと書かれています。彼女も幼子イエスについて話しています。(前掲書36~38節)この記事はルカ福音書だけにあります。ルカはイエスのことは幼いころから認められていたということを言いたかったのでしょう。

 それにしても、救い主を見たのでもう死んでもよいというシメオンの言葉は壮絶なものだと思います。信仰を持たない人には全く意味のない言葉だと思いますが、信仰を持つおじさんの目から見ればシメオンの賛歌は見事な信仰告白だと思います。

 ちなみに「マリアの賛歌」については有名なマルチンルターの同名の本があります。おじさんが大学生の時古本屋で見つけて読みました。岩波文庫でした。内容は忘れましたが本の題名がとても印象的でした。あ
 
 明日は孫のお世話と片付けです。