新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

作曲偽装問題についてーマスコミと社会の求める物語性

昨日から小雪だったので、朝おじさんの家の近くの山は雪景色でした。午前中から雨に変わったのですっかり融けてしまいました。

 明日は本格的な雪との予想ですが、外出の必要がないのでどちらでもいいです。株価はアメリカの市場が大幅高だったので、反発を予想していましたが、予想通りの展開でした。

 終わり値で上げているので来週はかなり戻すでしょう。来週末には15000円近くまで戻すかもしれません。おじさんの持ち株も電機や船株は大きく戻しました。

 鉄鋼や建設株の戻りが悪いです。特に建設株はオリンピックと復興をはやして一時値上がりしたのですが、結局人手不足と資材の値上がりで採算が悪く、株価も低迷のままです。

 まあアベノミックスと言ってもそんなものでしょう。さて今日は作曲偽装事件について書きます。先日は毒入り食品事件について書きましたが、どうもこのところ変な事件が多いようです。

 今回の作曲偽装事件の根底にはマスコミが求める物語性があるようです。もし話題の作曲家が普通の人であったら、作られた曲がマスコミの話題にならなかったでしょう。そもそもマスコミが取り上げたかどうか疑問です。

 障害を乗り越えて立派な仕事をしている人というのが今回の物語です。曲自身の出来栄え以上にこの物語性が曲を支えているのです。良い曲は沢山出ています。その中でこの作曲家が際立っているのは物語性があるからです。

 「お宝鑑定団」という番組がまさに物語性が根底にある番組です。ただ単に値段の高い美術品というだけでは出品できません。それに付属する物語が生命なのです。番組の担当者は物語性をいつも問題にしていると思います。

 芸能界もまさにそうです。二世タレントさんが今芸能界にあふれています。○○さんの息子さんとか娘さんということが物語性を醸し出します。ただ歌がうまいだけでは数あるタレントさんの中から選ばれるのは難しいです。

 それほど能力がなくても親御さんが物語を作るのです。話題のデビ夫人でもその背景に元大統領夫人だったという物語がなければ、あそこまで有名になれなかったでしょう。

 しかし、物語性の中には虚構も含まれます。物語というのはそもそも虚構を本質とするのです。もしその虚構が明らかになれば、物語は崩壊します。

 今回の事件は当事者の一人が虚構に耐えられなくなったのです。これでこの物語は終わりです。猪瀬前都知事の事件も清潔な文学者という物語が崩れた時終わりました。

 橋下さんもまもなく物語が終わるでしょう。安倍さんも病気や政権崩壊から復活したという物語性に支えら得ています。また病気が再発すれば「復活」という物語は終わります。アベノミックスという経済復活の物語も円安株高という虚構の上に成り立っています。

 もし円高が行きすぎて株価が下落したり、円安が円高になったらこの物語も終わるでしょう。終わりのない物語はありません。どこまで安倍さんの物語が続くか見ものです。

 日本社会が崩壊する前に安倍さんの物語が終わってほしいものです。明日は長女夫婦が来ます。