反知性主義について思う
今日も温かい一日でした。来週は10度を越えるようで有り難いです。このまま春になってほしいと思っています。今日は家の荷物の片づけや買い物のお付き合い、それに総合成績の記入などで過ごしました。
総合成績を記入したので、成績処理も終わりです。後は24日(月)に答案を返して、残りの成績報告をすればあ平成25年度の授業は全て完了です。」
株価か昨日大幅安だったので、今日はそれを埋める大幅高でした。昨日も書いた通り乱高下です。内容は強気と国内個人投資家と売りの海外投資家の綱引きでしょう。来週はどうなるのでしょう。今日大幅高でしたが、おじさんの持ち株としては、それほど利益もありません。
さて今日はこのところ新聞で取り上げられている反知性主義について書きます。おじさんも数年前から感じていたことです。反知性の根本には知性獲得が容易になったことがあります。以前は知性を得るには大変な努力と時間が必要でした。ところが、今はインターネットで簡単に調べることができます。
おじさんも、以前教えていた中国の留学生のために大学院入試問題を調べましたが、まさかとおもうような特殊な事項についてもネットで調べることができました。ただ調べるのが簡単なだけに調べた結果について検証をすることができません。
おじさんがインターネットで調べた別の内容では、明らかに偏った内容のものがありました。自分なりの知識なしにネットの内容をうのみにするのは危険です。
また、専門家の意見が外れることが多いのも反知性主義の横行する理由でしょう。自然科学においても、社会科学においてもそれが見られます。自然科学では原発事故以来、自然科学者の意見に対して疑問を呈する人が増えました。地震予知についてもそうです。
異常気象が従来の自然科学の常識を覆しつつあることも原因です。社会科学では経済予想が全く立たなくなりました。アベノミックスなど、普通の感覚では考えられない政策ですが(日銀も異次元だと言っています。)株が上がり円安になれば全てOKという感じです。
主知と言っても狭い自分の考えや、特定の主張が気に入れば無批判に受け入れる姿勢です。また短期的な視点からの考えも多いです。今のような不確定な時代先のことを考えても仕方ないのかもしれません。
その幅広い学習が今生きています。歴史認識でも主知的な風潮が強いです。自分の感覚に頼るのでどうしても排外的・排他的になります。嫌いなものはとにかく嫌いなのだという考えです。
他者を嫌うのは感性で、嫌いな他者と付き合うのは理性だと言います。今日本は感性に流れすぎています。先の大戦の時もそうでした。専門家であればあるほど、アメリカを含めた世界と戦争をするなど無謀だと考えたはずです。
しかし、その知性主義を神国日本は勝つと言う反知性主義が押しつぶしました。その結果は歴史が示しています。再び反米主義が吹き荒れようとしています。かっての時代以上にグローバル社会では知性主義が必要なのに、それに背を向ける今の時代は、破滅への道をまっしぐらに進んでいるとしか思えません。
とおじさんがいくら嘆いてもどうしようもないでしょうね。知性を得るのは大変ですが、自分の感性に従って(好きか嫌いかだけで)判断する方が楽だからです。どうも日本と言う国は究極まで行かなければ目覚めないようです。
明日は大学のサークルの同窓会で出かけるのでブログはお休みです。