新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

姦通の女の教えー歴史問題を考える視点として

今日は肌寒い一日でした。天気はうす曇りだったのですが、昼過ぎても気温が上がりませんでした。それでも今週は温かくなるとのことでうれしいです。

 さて今日は日曜日なので恒例の教会ネタ(聖書ネタ)です。今日も説教はマルコ福音書からでしたが、ブログは別の個所からです。

 以前から書いているように、キリスト教の本質は罪の許しです。今歴史認識に関して問題が生じています。簡単にまとめると、日本はすでに何度も謝ったのだからもういいじゃないか、いつまでもそれに拘るのはおかしいという意見です。さらに言えば、日本だけが一方的に責められる筋合いはないというものです。

 一方近隣諸国は、なんだその態度は本当に反省しているのかというものでしょう。最近の日本の論調を見ると謝ったこと自身おかしいということのようです。

 しかし、どう考えても日本が過去にしたことが全く悪くなかったというか、近隣諸国に迷惑をかけなかったというのは無理でしょう。となると問題の本質は謝ったのにいつまでしつこくその問題を取り上げるのかということです。

 されに突き詰めれば罪はどうすれよいのかということです。聖書では罪を糾弾する人たちのことが描かれています。この姦通の女はヨハネ福音書4章53節以下にあります。興味のある方は聖書を読んでください。

 姦通の罪は当時のユダヤでは石打ちの刑でした。ここでもパリサイ派はイエスを陥れるための罠を仕掛けているのです。もし女を許せといえば、律法を守らないのかと詰問できるし、女を石打ちの刑にすれば、イエスは女を見殺しにしたと言えるのです。

 その罠に対してイエスが言ったのは「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」という言葉でした。そうすると「年長者からはじまって」次々と人々がいなくなります。

 ここではまず自らの罪を自覚しなさいと言っているのです。今起こっている歴史問題を見ると日本の最近の姿勢は自らの罪は一切認めないという姿勢です。そして日本を非難する近隣諸国を逆に非難しているのです。

 先に書いたように、日本が自らの罪を深く反省し続けるなら近隣諸国の態度も違うでしょう。ナチスの行為についてはイスラエルは今でも許していません。多分永遠に許さないでしょう。逆にユダヤ人を救った人々については今でも顕彰しています。

 ドイツもナチスを賛美する行為を法律で取り締まっています。イタリアもファシストであったムッソリーニを市民がリンチにしました。責任の所在をはっきりさせました。

 ところが、日本の場合は三国同盟の中で唯一誰も責任を取りませんでした。一応東京裁判で政府首脳が処刑されましたが、今ではそれすらおかしいと言う人たちが大勢います。さらに先の大戦自身悪くなかったと主張しています。

 おまけに慰安婦問題ではどこの国でもやっていることだと主張します。中国を占領したことも帝国主義の時代欧米諸国もやったことだと主張しています。これは姦通の女が悪いのは自分ではない相手の男は何も罰せられないのか。

 また姦通で運悪く捕まったのは自分だけで余所でも沢山姦通している女はいる。それに自分に石を投げようとしている人の中にも罪を犯した人間も多くいるはずだと主張したらイエスはこの女を赦そうとしたでしょうか。

 そもそもイエスは積極的に女を救おうとしたのではありません。イエスはこの時地面に字を勝ってかかわろうとしなかったのです。本来歴史認識問題は国と国の間で話し合うべき問題です。しかし、現実には罪の許しが問題になっているのです。

 罪の許しは罪を犯した人間の側から主張するものではありません。そんな不遜な態度をしながら相手を攻撃するなら、きっと罪が深まるだけでしょう。

 昔いじめた人間がいじめらた人間に向かって過去のことではないか、そんな昔のことに拘らずに前向きに行こうと言われたらどう思うでしょうか。あるいは以前謝ったからもういいじゃないかと言ったら、いじめられた人は、お前は本当に反省しているのかと思うでしょう。

 こんなことを書くと自虐史観だと言われるのでしょう。悪いと本当に思うなら許してもらえるまで謝り続けるのが筋だと思うのですが。カテゴリを歴史やアジア問題にしたら炎上しそうなので、宗教で書きました。

 日本人には宗教は必要ないというようなタイトルの本がありましたが、宗教を持たない近代国家は少ないです。宗教を抜きにして国際問題を考えるなら手ひどい反発をくらうことになるでしょう。

 今日もたわごとを書いてしまいました。おじさんの聖書理解は独断と偏見に満ちているので全く信じる必要はありません。

 明日ものんびり過ごします。