新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

研究者の姿勢について

今日は午前中はうす曇りで時々雨でしたが、午後からはすっかり晴れてきました。それでも花冷えで一日寒かったです。今日は前立腺の薬をもらいに行きました。

 40日分なので前回検査の時もらった分がなくなったのです。お医者さんの話では薬を飲み続けるとやはり数値が低くなるのだそうです。次回の検査は8月です。

 株式相場はさすがにちょい安で引けたようです。まあこのところ値上がりしていたので一時調整というところでしょう。アメリカの経済統計待ちと言ったところです。アメリカの株式相場もこのところ上昇していたので、どこかで調整が必要なのでしょう。

 円安傾向が少し強まったようです。102円で大量のドルを保有しているので円安はありがたいです。円安で物価が上昇するのは困るのですが(ガソリンなど)ドル資産を結構持っているので痛し痒しです。

 さて今日山中教授が30代の研究者はまだ未熟だと発言していました。そのことについて書きます。大学の大衆化とともに大学が就職のための場なのか研究の場なのか分からなくなってきました。

 おじさんが大学に進学したころは大学進学率がまで20%台だったので、大学は研究の場という雰囲気がありました。そこでは論文の書き方や研究の仕方などについて厳しく教えられたものです。

 50代になって大学院に行きましたが(夜間の大学院)先生からやはり研究の姿勢について厳しく指導されました。おじさんは修士までしか行きませんでしたが、それでも修士論文の書き方について厳しく指導されました。このくらいいいだろうと言うところまでチェックされました。(例 論文の中の数字は全て半角など)

 おじさんは教育学という社会科学の分野でしたが、自然科学の場合は研究や論文の書き方についてさらに厳しく指導されるはずなのです。社会科学や人文科学の場合、基本的には追試あるいは再試という考え方はありません。

 ですから論文に用いられるデーターの検証は基本的には行われません。ところが自然科学の場合、提出された論文の結果について再度別の研究者が検証してみることは当然なのです。今回の問題の場合、小保方さんがそんな基本の基本を忘れていたのかという気がします。

 自然科学の場合本人が何と言おうと追試や再試で同じ結果が出ない限りその研究は認められないのです。次にデーターをねつ造したり改ざんしたりするケースですが、これは自然科学のみならず全ての研究者の誘惑なのです。

 おじさんが修士論文を書く時もそうでしたが、論文を書く前に仮説(事前の予想)を設定します。それをデーターなどで裏付けるというのが社会科学や自然科学の論文なのです。ところがデーターの結果が予想と違う場合があります。

 その場合、原因は二つあります。一つはそもそも仮説が間違っていたということです。もうひとつは仮説は正しいが実験の手順・方法に問題があるということです。仮説が間違っていれば、それまでの実験は全て無駄になります。膨大な時間と労力それに費用を費やしたのが全て水の泡となるのです。もちろん、上司や指導教官から叱責されます。

 その上当事者の評価は下落します。修士論文や博士論文であれば不合格ということになります。1年あるいはそれ以上の時間を無駄にすることになります。研究者なら研究費の減額や信用の失墜ということになります。

 若い研究者にとって未来が閉ざされることになります。そんな時データー改ざんの誘惑にかられるのです。もちろん後でばれることもあります。博士論文くらいだと追試をする人はいないので何とかなります。

 それで味を占めると次々にやってしまうのです。もちろん最後までうまくいくということはありません。何かの拍子の露見することがあるのです。注目される研究をやっているほど改ざんが露見する可能性が高いのです。

 コピペーは現在の大学生では当たり前のことです。大規模な大学ではきちんと論文作成の基本とくに引用の重要性について教えません。指導教官が忙しすぎりのです。学生の論文指導などやっても自分の業績にならないのです。

 それより寸暇を惜しんで自分の研究にいそしみ論文を書いて業績とし研究費を得なければ研究者の生命が絶たれるのです。中国の大学でもそうだと聞きました。論文の数が重要なのだそうです。

 きちんとした論文の書き方の指導も受けず、注目されることの重要性だけを認識した若い研究者の中に目的のためには手段を選ばない人も出てくると思います。

 今回の問題は氷山の一角でしょう。たまたま全世界が注目する研究だったから追試が行われ、論文の精査がなされたのです。一つだけ疑問なのは小保方さんくらいのレベル(アメリカの大学に留学する)だと発表した内容について追試が世界中でなされることになぜ気付かなかったかということです。

 ネイチャーに載り生物学の常識を覆す内容なら当然追試や再試がなされると考えるのが常識です。おじさんのような畑違いの人間でもすぐ気がつくことです。

 この点だけが未だ疑問です。小保方さんがそこまでのレベルの研究者であったとは考え難いのですが。もし論文の方に問題があったとしても誰かが追試でステップ細胞の存在を立証したらいまバッシングしている人たちはどうするのかと思います。(特にマスコミ)

 大学院で研究の入り口を学んだおじさんとしては、今回の問題は後味の悪い出来事でした。明日も忙しいくなりそうです。