新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

旧日本軍に関する本を読んでー勝ちに偶然はあっても負けに偶然はない

今日は雨との予想だったのですが、結局降りませんでした。午前中こそ曇っていたのですが、午後からは汗ばむほどの陽気になりました。

 株式市況は相変わらずすっきりしません。一時は日経平均は高かかったのですが、終わってみれば何とやら、ちょい安でした。株式評論家は企業業績が明らかになれば上がりだすとの予想ですが、すでに今期の業績予想はでているし、それは去年の12月相場で先取りしています。

 株式市況は半年先を予想すると言われます。6月が株主総会ですから、その半年前が去年の12月です。その頃今年の決算が好調なのをはやして値上がりしたと思います。今こんな調子なのは、今年の9月頃の業績が足踏み状態だとみているからでしょう。

 まあ株式市況というのは一種のギャンブルですから、誰のもどのような展開になるか分からないと思います。競馬の予想と同じです。

 さて月始めから読んでいた旧軍関係の本を読み終わりました。ブログの読者の方は読むことはないと思いますが、今日はそれについて書きます。

 結論はブログのタイトルに書いた通りです。別の言葉を使うなら「敵を知り己を知れば百戦危うからず」です。逆に敵も知らず己も知らなければ必ず負けるということです。日清日露戦争の時代は敵についても己についても良く知っていたようです。

 ですから、まだまだ行けるという世論を抑えて戦争をやめることができたのです。ところで読んだ本はまず「陸軍人事」(藤井非三四箸 潮書房光文社)です。ここでは日本陸軍の高級将校の人事がどのように行われたのか細かく分析しています。

 陸軍というのは巨大な官僚組織なのです。現代の官僚組織と変わりません。ですから年次や学歴、成績などによって人事がなされるのです。現代の官僚の場合でも、年次を越えての人事など考えられません。

 入省年次がとても重要なのです。かっての陸軍の場合も人事の重要な要素だったようです。学歴も士官学校出身が一番で、戦争末期に将校が不足して幹部候補生試験で合格した者も多く将校となりました。ところが、彼らも十分優秀だったのに昇進することはありませんでした。

 士官学校出身でも中学入学はダメで幼年学校出身者が優遇され、さらに陸軍大学校出身者が優遇され、さらには成績優秀者が優遇されたようです。

 今でも学校秀才はダメだと言われますが。旧陸軍がその典型だったのです。アメリカの場合現代でも士官学校出身と同じくらい大学の予備役将校養成団(ROTC)出身者が活躍しています。

 先の大戦の時でもアメリカ軍は年次を無視してどんどん昇進させたり逆に失敗すると降格させたりしたようです。階級で職につけるのでなく、職についたらそれに伴って階級が上がったようです。

 そう言えば江戸時代にも足高の制というのがあって、職務に自分の石高が不足する場合はそれにプラスして石高不足を補ったようです。そのようにして優秀な人材を登用したようです。それにアメリカ軍の場合、会社ごと軍に編入し、例えば建設会社のある部門を工兵隊に編入し、部長を佐官クラス、課長を尉官クラス、現場監督を下士官に任命して、そのまま使えるようにしたという話を聞いたことがあります。

 このあたりは融通無碍だったようです。先述した陸軍人事でも日本がもし別の人事を行っていたら歴史は変わっていたかもしれないと書いています。まあそうでしょう。陸軍の父大村益次郎奇兵隊を作った高杉晋作が生きていたら、明治の陸軍を支配し、政治の黒幕として活躍した山県有朋など出る幕がなかったでしょう。

 次に読んだのは「日本軍と日本兵ー米軍報告書は語る」(講談社現代新書 一ノ瀬俊也著)です。ここでは米軍が書いた日本軍や日本兵に関する報告から米軍が日本軍をどのように評価していたかが分かります。

 先に書いた敵を知り己を知れば百戦危うからずです。日本軍は残念なことに米軍についてきめ細かな情報を収集しませんでした。以前ある本で日米開戦の前にシュミレーションを軍や政府などの関係者でやったが何度やっても勝てないという結果がでたが、それを政府も軍も無視したと読んだことがあります。

 普通戦争をする時その前に徹底して相手を研究するものです。もちろん戦争が始まっても同様です。もし当時それをやれば戦争はできないという結果がでたと思います。

 当時の日本の工業力ではとてもアメリカに勝てなかったからです。おじさんは兵器マニアな面もあります。その点から言えば日本軍の戦車ではとてもアメリカ軍の戦車に対抗できません。

 この本でも日本軍はアメリカ軍の戦車攻撃に手を焼いたようです。結局肉弾攻撃しかなかったのですが、アメリカ軍もちゃんとそれを知っていて防衛手段を講じたようです。兵器の優劣だけでなく情報の軽視、補給の軽視、医療衛生の軽視なども日米で大きな差があります。

 ただこの本によればバンザイ突撃は思ったほどなかったとあります。意外だったのは日本兵の射撃の腕前がひどかったとあることです。まあ考えれば射撃訓練をアメリカ軍ほどはやってなかったでしょう。今の自衛隊でも演習場の関係や予算の関係で思いっきり実弾射撃訓練ができないようです。

 本気で大砲や戦車砲やミサイルを打てるのはアメリカの演習場でだけだと言われています。この本を読むと、アメリカとの戦争をする際中国軍との戦争のイメージのままやったように思いました。

 中国軍は装備も訓練も劣悪で、おまけに士気も低かったのです。それに中国大陸ではどこでも食料などを調達することができました。戦術も敵を包囲して一気に攻勢をかければ敵は一斉に逃げ出したのです。

 中国軍は戦車もほとんど持たず大砲もそれほど持っていませんでした。そのような近代兵器を自由に駆使できる技術レベルではなかったのです。当時の陸軍の指導者層にはこの経験がどこかであったと思います。

 アメリカ兵は軟弱だからこちらが攻勢をかければ一気に崩れると思ったのでしょう。それに緒戦だ戦った欧米(イギリスやオランダ兵)も弱かったからです。

 やはり緒戦の勝利は敵が不意打ちを食らったための勝利だったのです。それを自分の実力だと信じたところから敗北が始まったのだと思います。アメリカ軍は日本語を知らない兵士が多いので、特別に語学学校を作り日本語教育を施しました。

 寡聞にして日本軍が英語ができるような軍の専門の学校を作って英語ができる兵士を養成しアメリカ軍から押収した資料を分析してその情報を他の部隊に配布したという話を知りません。

 とにかくやれば何とかなる、気持ちが大事だというのが日本軍だったのではないでしょうか。そう言えばまるで今話題のブラック企業パワハラ上司の意識構造に似ています。理屈より気持ちだというのは現代まで生きる日本の伝統なのかもしれませんね。

 明日は家事手伝い業にいそしみます。