新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

聞く耳のある者は聞きなさい。

今日はうす曇りでした。雨が降るというので、水撒きもしないで待っていたのですが、雨が降らないでがっかりです。今日の夜から雨のようです。

 今日は日曜日なので教会です。今日は第一回の教会総会がありました。報告総会と言われるものです。3月中に次年度予算や役員選挙をしたりします。そして4月に入って決算及び年間報告の総会をするのです。

 決算や報告なので1時間くらいで終わりました。去年も何とか無事赤字にもならず教会員も減少せず、礼拝等の出席者も前年と同じくらいだったので安心しました。

 教会も高齢化が進んでどこの教会も教会員が減少しているのです。さて今日は日曜日なので教会ネタです。聖書ネタを書きます。

 今日は有名な「聞く耳のある者は聞きなさい。」という聖句の箇所です。古い聖書では「聞く耳のある者は聞け。」と書かれていました。

 聞くためには、聞く側に聞こうという気持ちがなければいくら話しても無駄なのです。よく聞き流すという言葉を使います。これは聞く気がない中で言葉だけが流れていくことを示します。

 世の中には様々な音が流れています。人間はその中で自分にとって意味があるという言葉だけを聞き取っているのです。一番有名なのが、人間がなぜ電車の中で会話ができるかです。電車の中での会話を録音しようとしたら雑音がひどくて人間の言葉は聞き取れないのだそうです。

 ところが人間は不要な音を捨てて自分が効きたい音だけを拾っているのだそうです。また別の例では、赤ちゃんの泣き声をほかの人は聞き取れないのに、お母さんは遠くにいても聞きとるといいます。夫婦で寝ていてもお母さんは赤ちゃんの泣き声で起きてもお父さんぐうぐう寝ていたりします。

 聖書の言葉も信仰を持って読まねば全く耳に入ってきません。聖書の別の箇所には旧約聖書の言葉として「彼らが見るには見るが、認めず、聞くには聞くが理解できず」(マルコ福音書4章10節)とあります。

 これは以前の聖書では「見れども見えず、聞けども聞こえず」と書かれていました。聖書の言葉は人間の心理をよく掴んでいると思います。

 日常生活でもこんなことが多くあります。アベノミックスを信じている人は、アベノミックスはすでに破たんしていると言っても聞く耳をもたないのでしょう。

 安倍さんも様々な批判があるのですが、「聞くには聞くが理解でき」ない状態なのでしょう。ぶらないのもいいのですが、唯我独尊は困ります。

 変な俳句を作ったり、メーデーに出席したりして賃金アップを推奨しているようですが、安部さんが何を言っても所詮賃上げなど大企業の話だと思います。

 明日は雨のようですからのんびり過ごします。