新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

派遣される弟子たちーその先に待つもの

昨日はツマクマと午後から映画を見に行きました。「超高速参勤交代」です。結構おもしろかったです。そのことについては後日書きます。

 おかげで昨日はブログを書くことができませんでした。(帰宅が夜になったので)昨日の夜から雨になりました。今日も午前中は雨でした。午後からは雨も上がりました。

 さて今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。今日は聖書ネタです。今日の説教からです。以前から書いているように説教は連続してマルコ福音書を扱っています。

 今日の箇所はマルコ福音書5章6節~12節です。サブタイトルは「十二人を派遣する」です。この話は以前からおじさんも知っていましたが、ああそうかと言った感じで見ていました。

 今日の説教を聞いて全く別の角度からこの記事を見ることができました。まずこの派遣がどのような形で始まったから見てみましょう。聖書の言葉は何気ない言葉に重要な意味があるのです。

 その言葉は「十二人を呼び寄せ、二人づつ組みにして遣わすことにされた」です。「二人づつ組にして」がポイントです。イエスキリストから託された重大な仕事に二人一組で行くことになったのです。

 普通なら読み飛ばしてしまいそうな個所です。刑事ドラマでよく二人で組んで捜査をしている場面がでます。もし性格が全く異なる二人で一日中仕事をすると大変だと思います。

 実はイエスの弟子の十二人の構成を見てみると組み合わせ次第で大変なことになると思います。十二人の弟子を見てみるとまず筆頭弟子のペテロとその兄弟アンデレがいます。二人は漁師です。

 一方弟子には収税人マタイもいます。彼はローマ帝国の手下つまりユダヤの裏切り者です。一方収税人は今で言えば税務官僚ですから計数にも明るい人間でしょう。計数に明るい人間としてはイスカリオテにユダがいます。彼は教団(イエスと弟子たち)の会計係をしていたようです。

 ところが、反ローマ派の熱心党の元メンバーもいます。熱心党のシモンという人もいます。「雷の子」とあだ名をつけられた二人の兄弟もいます。(ヤコブヨハネ)さらには復活のイエスに出会った時手と脇腹の傷を見なければ信じないと言ったトマスもいます。

 讃美歌でも「疑り深いトマス」と歌われています。本当に個性豊かなメンバーです。親ローマ派だったマタイと反ローマ派の熱心党のシモンとを組み合わせたらどうなるでしょう。

 雷の子と呼ばれる兄弟は感情の変化の激しい人だったと思います。その人と懐疑主義のトマスが組んだら大変でしょう。お金の心配をいつも心配しているユダとこの兄弟が組んでも同様です。

 もちろんお金や装備をしっかり持っての旅行なら二人で話合う必要もないでしょう。しかし、この派遣でイエスは「パンも袋も、また帯の中に金を持たず、ただ履物をはくように」命じられたのです。

 それに「どこでも、ある家に入ったら、その家にとどまりなさい。」と命じられたのです。お金もなく着るものもなく行動をともにし、他人の家で過ごすのです。

 聖書ではこの旅行が大きな成果を上げたとあります。「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。」とあります。

 確かにこの十二人はユダが裏切りイエスが逮捕される直前まで行動をともにします。この旅行で仲間割れしてばらばらにならなかったのです。

 組織者としてイエスはこの弟子たちをどうのように組み合わせたのかとても興味深いです。似たもの同士を一緒にしたのか(ペテロ兄弟やヤコブ兄弟、収税人マタイと会計係ユダ)、逆にお互いの不足しているところを補うように相反する者同士を組み合わせてのでしょうか。

 さりげない「二人ずつ組にして」という言葉の中にも様々な想像を掻き立てさせるのです。初代ローマ教皇と言われるペテロと裏切り者のイスカリオテのユダが行動をともにしたとしたら、二人はどのようなことを話、どのように思ったのでしょう。

 聖書を自分のこととして読んでみるととてもおもしろいです。聖書は何度読んでもいろいろなことを考えさせます。明日はツマクマの所用のお伴で忙しいです。