新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

五千人の給食の奇跡

今日は早朝雨が降りましたが午前中には真夏日になりました。今日は教会が終わった後教会員の方の御主人が亡くなったのでお葬式に行ってきました。

 御主人はまだ30代でお子さんが生まれたばかりでした。さて今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。今日の説教は「五千人に食べ物を与える」とサブタイトルのついた個所です。(マルコ福音書6章30~44節)

 福音書にはマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネと4つあります。その中でマタイとマルコとルカは似たような内容を持っていますが、ヨハネ福音書は少し違った内容を持っています。

 ですからマタイ・マルコ・ルカ福音書にある記事でもヨハネ福音書にない場合が結構あります。その中でこの五千人に食べ物を与えた話は全ての福音書にでてきます。

 福音書の記者にとってこの出来事はとても重要な出来事だったのでしょう。この記事の内容は簡単に言えば5つのパンと2匹の魚で男五千人を満腹にしたという出来事です。男五千人という場合、それ以外に女性や子供もいたことになります。

 教会でもそうですが、信者さんは圧倒的に女性が多いです。ですからこの出来事の場には1万人以上の人がいたのです。それらの人を満腹させたとあります。皆が5つのパンや2匹の魚を食べずに断食したわけではありません。食事が終わった後、パンくずと魚の残りが12の籠いっぱいになったというのです。

 聖書によればもしここにいる群衆にパンを食べさせるとしたら200デナリオン必要だと弟子たちは言っています。デナリオンは当時の労働者の一日分の給料です。単純に1日1万円とする200万円と言えます。

 そんなに多くのパンが必要なのになぜ少しのパンと魚で皆が満腹したのでしょうか。これも奇跡の話です。聖書の奇跡は病気を癒す奇跡が多いです。

 しかし、病気の奇跡で全ての福音書に取り上げられているのは寡聞にして知りません。この五千人の奇跡については、現実的な説明がなされています。当時のユダヤ人は外出する際非常食をいつも携えていて、それを出したのだと言うのです。

 多分そうでしょう。しかし、最初配られたパンと魚を誰かが食べたらすぐになくなってしまいます。それに一人が自分の携帯していた食物を提供しても別の人が何も出さず提供されたものを食べたらすぐになくなってしまいます。

 ここでは食事の前にイエスキリストは集まった人々に「いろいろと教え」られたようです。イエスキリストの話を聞く前の人々は「飼い主のいない羊のような有様」であったと聖書には書かれています。

 無秩序な人々が食事を受け取る時は「百人、五十人ずつまとまって腰をおろした」と統制のとれた集団になっていました。病人を癒す奇跡は癒された個人に対してしか影響はありません。

 それに対してこの奇跡は大勢の人たちの心を変えていったのです。一人の人間の心を変えるのも大変なのに五千人以上の人の心を一度に変えるのはもっと難しいでしょう。

 だからこそこの奇跡の出来事を全ての福音書の著者は福音書の記事として残したのだと思います。明日も忙しいです。