中国大返しの教訓ー先の大戦との比較
今日は午前中は曇りでしたが午後から雨になりました。今日は夕方から同窓会に行きます。今住んでいる街に来てから最初の勤務校です。
先週から「中国大返し」の場面が出ています。この出来事を見るたびに先の大戦との比較を考えてしまいます。どこの軍隊でも必ず戦史に関する研究部門があります。過去の戦争の歴史はその後の戦争に重要な教訓を残しているからです。
旧日本軍でもそうだったようです。ところが桶狭間の奇襲は取り上げられたようですが、中国大返しはどうだったのでしょう。「中国大返し」という戦史上注目すべき軍事行動ができたのはなぜでしょう。ところで今軍医たちの戦争体験を描いた「蛍の航跡」という本を読んでいます。この著者は以前「蠅の帝国」という本を出しています。
「蛍の航跡」の最初は先の大戦で抗命罪に問われた将軍の話です。この事件はインパール作戦の際軍司令官の命令に背いて自軍を撤退させた将軍に関する事件です。インパール作戦は補給を無視し、情報を無視した作戦でした。
一方中国大返しはその間逆です。情報を重視し補給を最大限重視した作戦です。中国大返しでは戦場で敵と対峙している最中に全軍撤退という途方もない軍事行動をとらなければなりませんでした。撤退作戦というのは戦術の中でも一番難しいのです。
秀吉がまず敵方より先に情報を掴んだ点が一番大きかったといえるでしょう。伝承では敵の使者が自軍に迷い込んで情報を得たとありますが、これは作り話でしょう。
こんなあやふやな情報で全軍を危険を承知で撤退させたりなどしないからです。中国大返しをまず成功させたのは確実な情報選択ができたからです。このような大作戦のためには複数の情報を比較検討しながら行うものです。
先の戦争では日本もドイツも暗号を敵に解読されていたと言います。日本軍はまさか日本の暗号が解読されていたとは思わなかったようです。アメリカもイギリスもドイツの暗号を解読していました。またアメリカは敵を撹乱させるための謀略を行っていました。(死者を使って偽情報を流す)
日本は情報活動と言えば何だか怪しげなことだと思っているようです。しかし、戦国時代情報こそが全てであったのです。また、インパール作戦と反対に中国大返しでは補給を一番に考えました。そのために全てのお金を使っています。
旧日本軍では補給などは後回しで、軽視されました。中国大返しにおいて、道々で食べ物が準備できていなかったら、走りぬくことはできなかったでしょう。そのための準備こそがこの作戦の要だったのです。
短時間に村人を召集し炊き出しをさせ、たいまつなどを準備するのは大変な調整能力が必要です。またやみくもにやってもうまくいきません。体育会系のノリだけではできないのです。
秀吉は精神主義などとりませんでした。ここも先の大戦と大違いです。日本は神国だなどと言った精神主義では中国大返しはできなかったでしょう。走りに走るために必要なのは十分な食料や水の補給なのです。きつくても走りぬくだけのモチベーションが必要です。(秀吉は金銭でつったようです。)
また村人たちに協力してもらうには普段から村人たちとコミュニケーションをとっておかなければなりません。中国大陸で戦争した時中国人は日本軍には協力しなかったようです。同じ中国人の中国軍に協力するのは当然でしょう。
また交渉能力の高さもすごいと思います。短期間であれば敵方をあざむくことはできます。当然すぐ信長の死は毛利方に伝わります。その時毛利方が追ってこないようにしなければなりません。
史実には何も書かれていませんが、何か毛利が追撃しないようにさせた要因があったと思います。ドラマでは毛利の外交僧に黒田官兵衛が事実を知らせる場面があります。
この辺はまさに身を捨ててこそ浮かぶ瀬があると言ったところです。これに近い事実があったかもしれません。トップの決断の速さ、参謀クラスの意見をきちんと聞く司令官、また作戦のための手順ときちんと整える部下。
インパール作戦では最高司令官の無謀な作戦に部下たちは反対したのに聞きいれませんでした。それが膨大な損害を生むのです。
戦って死ぬのは戦争ですから、ある程度仕方ありませんが、飢え死にしたり病気で死んだりした兵士が大勢出たと聞いています。ガダルカナル島は餓島とも呼ばれたそうです。
今「日清戦争」と先述した「蛍の航跡」を読んでいます。読み終えたらまた報告します。明日は教会です。