新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

教会学校の思い出

今日は一日晴天でした。今日は日曜日なので教会です。今日は久しぶりに教会学校の説教の順番でした。また第一日曜日なので聖餐式と誕生者の祝福がありました。その後長老会(役員会)がありました。

 そんなこんなで一日終わりました。今日は教会学校について書きます。教会学校の歴史は古く戦前は日曜学校などと呼ばれていました。キリスト教だけでなくお寺なども日曜学校をやっていました。カソリック教会などは土曜日にやっているようです。

 お寺の日曜学校は子供の頃一度本家に行った際、従弟から連れていってもらったことがあります。今はやっているのかどうか知りません。おじさんの小学校の頃から時々行ったことがあります。

 おじさんが小学生だったのは貧しい時代だったので、教会学校の終わりにもらえるお菓子などが魅力でした。テレビなどない時代でしたから、日曜日に教会学校に行くのは魅力でした。

 中学生くらいの頃は外国人の牧師さんが英語を教えてくれるというので教会に行ったこともあります。今考えると英語と日本語の対訳聖書を用いていたようです。

 その後19歳の時洗礼を受けてすぐ教会学校の先生になりました。子供たちは、教会学校とはいえ先生なので、「○○先生」(○○はおじさんの名前)と呼ばれました。何だかくすぐったかったです。

 当時通っていた教会はミッションスクールの近くにありました。当時のミッションスクールは日曜日に必ず教会へ行かなければならなかったのです。それで大勢の中高生が来ていました。

 ただいやいや来ている生徒さんも多くてこちらがお話をしているのに私語をする子や内職をする子などもいました。それでも2年近く必死で先生をしました。

 大学卒業後地元を離れて教師をしていたので数年間は教会学校から離れていました。その後家を建てて今の教会に行くようになりました。その教会は民家を改造した小さな教会です。おじさんの前任の先生はミッションスクールの義務出席に反対で、学校と意見が対立していました。

 義務出席の場合、出席した証拠の教会のはんこがいったのです。ところが、前任の先生ははんこを押さなかったのです。それでは出席した学生さんは困るのので誰も来なくなりました。それで今度はおじさんが担当することになったのです。

 4月の最初の教会学校に行ってみると生徒さんは一人だけでした。その生徒さんの名前を今でも覚えています。そんなこんなで66歳になる今でも教会学校の教師をやっています。今の場所に移転してからは生徒さんも増えて一番多いときは40人近くの生徒さんが来たものです。

 その中から数人の生徒さんが受洗しました。今は義務出席もなくなり数人の生徒さんしか来ません。それでもコツコツ努力しています。いつの日にかまた大勢の生徒さんが来てくれるのを期待しています。

 明日もツマクマの所用のお供で一日終わりそうです。